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コンサートホールは、ちょっと異常だ。|大童澄瞳

音楽から絵を空想することが多いという、漫画家の大童澄瞳さん。去る10月、初めてのクラシックコンサートを鑑賞した大童さんに、コンサートの体験をもとに一枚の絵を描いていただきました。そこには、湖の中に浮かぶ孤島のような姿が。大童さんは、コンサートホールでどんなことを感じたのでしょうか。そして、絵の中に「神聖さ」を表現した理由についても訊きました。

どう楽しむ? 初めてのクラシックコンサート。


——大童さんには、10月に開かれたN響定期公演Bプログラムを鑑賞していただきました。初めてのクラシックコンサートはいかがでしたか?

実は、会場に行く前から「この1回を観ただけでクラシックコンサートのすべてがわかるわけではない」という覚悟のような思いがありました。というのも、僕は落語が好きなのですが、落語を聞くときって、聞き慣れない江戸弁だったり古い言葉だったりするので、初めは意味がわからないところがあるんです。でも、同じ音源を繰り返し何度も聞いているうちに「あ、こういう意味なのか」と後からわかることがある。さらに落語には『大工調べ』とか『芝浜』のように演目がいくつもありますよね。僕は『火焔太鼓』という演目が好きで、なかでも(古今亭)志ん朝が演じるのが好き。でも例えば、音源によっても異なる印象があるし、同じ演目でも他の落語家を聞いてみるとまた違う印象があるわけです。要するに、同じ演目でも、演者や回によって違いがある。それと似ていて、クラシック音楽も楽団や指揮者によって様々なんだろうな、と想像していました。だから、指揮者や編成による違いや、弾き手の違いなどを聞き分けられない今の自分は、初心者として何を楽しめばいいかというのをテーマとして持っていたんです。

——もともとクラシック音楽に親しみはありましたか? 

子どもの頃、有名どころのCDは家にありましたが、特段詳しいわけではありません。僕の父は特にジャズが好きなので、ジャズのほうが聴く機会も多かったかなと。あとは母がピアノをやっていたので家にピアノがあったり、他にもトランペット、トロンボーン、フルート、尺八……なんかの楽器が家にはありました。楽器で遊んだりはしていましたが、楽譜は読めないし、できるのはリコーダーくらいで。大人になってからロックのライブに行ったことは何度かありますが、クラシックコンサートを聴いたのは今回が初めてでした。

インタビューは、公演後日にN響の練習室で行った。

—— 今回の定期公演での演奏曲は、ベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」》と、ブラームスの《交響曲 第3番 へ長調 作品90》でしたが、どんな印象を持ちましたか?

前半の《皇帝》は、全体を通して威厳や堂々とした風格のような気配がありました。後半のブラームスは、曲調としては盛り上がりがずっと続いて大きい響きをコントロールしているような印象と、奮い立つようなものを感じた。当然ではあるのですが、本当に曲によって違うんだなと実感することができました。また、アンコールではピアノソロで《悲愴》(*1)が演奏されたのですが、これは唯一知っていた曲でした。知っている曲だとやっぱりメロディーラインを追うことができるので楽しかったですね。そのピアニストがどうやって弾くのか、どこで間を溜めるのかと、少し気にしながら聞くことができたから。「私は何を聞かされてるんだ?」となるよりは、耳にしたことがあるフレーズが少しでもあると「あ、これか!」と思える。それはクラシックコンサートを楽しむための大きな要素かもしれないな、と。

*1《悲愴》・・・1798年にベートーヴェンが作曲した、《ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13『悲愴』第2楽章》。

——コンサート会場は、客席の配置にヴィンヤード(ぶどう畑)形式を採用していることでも有名なサントリーホールでしたね。

はい。2階のど真ん中というすごく良い席を用意していただきました。実際に席について演奏が始まると、面白いことに気づいたんです。席に座ったままでも、下を向きながら聴くのか、演奏している人たちを注視して聴くのか、ホールの上を見るのかによっても、音の感じ方がすごく変わるということ。特定の奏者を見ていればその人の動きと音がリンクしているので、その奏者から音が放たれていることに自然と脳内でフォーカスするんですよね。だから、その音がより鮮明に聴こえてくる。座席による違いもあると思いますが、そのように視線によっても音が変わるのが面白いですね。

写真提供:サントリーホール

——2階席は、一番バランスよくブレンドされた音が届く席だと考えられているそうです。

特に天井を見上げながら聴いてみると、空間全体に反響している音に集中できるので、マリアージュといえばいいでしょうか、まさにシンフォニーを感じることができると感じました。視線を変えることでホール自体の造りにも目がいって、多面的というか壁が凸凹していたりするホールの特性からその設計にも納得できるような気がしました。それと、今回の曲目ではないのですが、僕が好きな曲にラヴェルの《ボレロ》があって、スネアドラムのすごく小さな音から始まって、ラストはすごく力強く終わる曲ですよね。音源でスピーカーを通して聴いていると、最初の音があまりにささやかに始まるので、聴こえなくてボリュームを上げることがよくあるんです。かといって音量をマックスにすると音割れしてしまう。今回、サントリーホールで実際に演奏を聴いて驚いたのは、そのような小さな音がよく聴こえるということ。もちろん迫力ある大きな音の感動というものもあるけれど、本当に細かな小さい音まで聴こえるというのが、コンサートホールでオーケストラを体験する醍醐味なのかもしれないと思いました。

——コンサートホールに行くのは、少し身構えてしまうという声もよく聞かれるのですが、大童さんはどうでしたか?

一応、事前にコンサートの心得のようなものを読んだのですが、「会場では寝ている人も結構いますよ」ということが書いてあったんですよ。だから、意外とそれも許される雰囲気なのかもしれないなと思いながら行ったのですが、実際に来ていたお客さんを見てみると、外見に気を遣っておしゃれな格好をしている人や和服姿の人もいれば、一方で犬の散歩の途中で来たかのような気さくな服装の人もいて。自分みたいな人がいてもいいかなと思えるくらい、本当に様々な人がいたんですよね。そうやっていろんな人の背景にある文化が入り混じっている感じがあって、来ている皆さんがこのコンサートとどんな接点があるのか想像すると面白いですね。

公演を鑑賞して、神聖さと揺らぎを描いた絵。

作:大童澄瞳

——今回のコンサートを聴いて、大童さんには絵を描いていただきました。どんなことを想像して描かれたんでしょう。

演奏曲からは、英雄が帰還するような、何かそんな印象を持ちました。でも、色々と考えているうちに、ワンフレーズの印象が強くてそう聴こえただけかもしれないぞ、と迷い始めて。曲のイメージを描くのか、それともコンサート自体なのか、その楽団を描きたいのか……と考えて、結果的にはこのサントリーホールでのコンサートから得た「印象」を描きました。

——湖の中央には、石を積んだ遺跡のようなものがありますね。

サントリーホールでは、舞台を360°取り囲むように客席が配されている造りということもあり、中央の舞台に神聖な空気があることを強く感じて、まるで祭壇のようにも見えました。オーケストラには、100人近い奏者をコントロールして一つの曲を演奏するという、ある種の意志というか執着にも近い“異常性”がありますよね。それは信仰という古来の人間の営みにもつながるだろうし、自然とのやり取りのような原始的な感性に基づくものがオーケストラにはあるんだろうな、と。だからこそ人々が共感できて、数百年という単位で今日まで受け継がれているのではないかと思う。そんなことから、火山活動の一環で生まれたカルデラ湖をイメージして、その中央に、ストーンヘンジのような原始的な人間の手による「石づくり」の集合体を描いたんです。積まれた石のバランスは少し危うくして。あえて不安定さを残したのは、演奏の「揺らぎ」を表したかったから。揺らぎがなければ、生で演奏する意味は、きっと、ないと思うんですよ。

——その揺らぎのような安定しないものの象徴が、湖の「水」でもあるのですね。

ええ、そして背景には火山灰などが積層されてできた断層を描きました。地層の折り重なりは歴史を象徴するし、波線のような集積はアナログのレコードにも見える。「音」を表したかったのかもしれません。

——絵には、巨大な石の間に立つツノが生えた人物が描かれていますが、これは指揮者の姿ですか?

明確に誰かを描いたわけではないのですが、指揮者のような存在かもしれないですね。指揮者って、あれだけの数の楽団員が音を出している中で、音が出る前に動きで合図を出して、全体をコントロールするなんてすごいですよね。人間の域を超えているような存在にも思える。ちなみに、僕は高校生の頃からずっと、ツノが生えた人間のようなものを連作で描いているんです。理由は色々あると思うんですが、身体的には女性の特徴を持っていて、例外はあるもののツノが生えている動物はオスであることが多いので、人間であるのか性別はなんなのか判然としない。そんなイメージがすごく好きなんです。ある種の僕のサインみたいなものでもあって。この絵を風景画にしてしまうと少しもの足りない感じがしたので、自分の中のアイコンとして精霊のようなものを描き足したいと考えました。指揮者へ感じたことがそうやってこの絵のモチーフにつながったのかもしれません。……と、こうやって言葉で説明していますが、描いていたときは、ほぼ直感で手を動かしていました(笑)。

知識よりも、カルチャーを知る楽しさ。

——大童さんは音楽を空想しながら聴くそうですが、具体的なイメージを頭の中に描いているんですか?

というよりも、「その曲でどういう映像がつくれるか」という視点で音楽を聴く癖があります。この曲を使ってアクションシーンを撮ったらどうなるだろう?というように、どんどん想像が膨らんでしまって。

——漫画を描く際にも映像がアイデアになっているのでしょうか。

映画、特にアニメには影響を受けてきました。でも、ある時点で、その“動き”全般が好きだということに気づいたんです。というのも、アニメーションの軸は動きそのものなんですよね。少し極端にいってしまえば、ストーリーは必須ではなくて、例えば、GoProのようなカメラが登場したことによって、スノーボードのアクロバティックな映像とか、曲芸飛行のような映像がどんどん進化して、今まで見られなかったような新しい映像表現が出てきたりすると感動する。そういった部分に大きな興味関心があるんだと思う。ただ、その映像はそれだけで見せられるのかというと、ちょっともの足りなさがあるから、必ず音楽が付随するもの。演劇が美術と融合したり、演劇が音楽と合わさってオペラやミュージカルになったり、という総合芸術と同じなんですよね。それで、音楽を聴いたときに、この曲でどういう映像にしたら新しくて面白い雰囲気になるか、ということを空想するようになったのだと思うんです。

——映画でも、音楽と映像の組み合わせによって、恐怖を演出したり共感を創出したりすることがありますね。

そうですよね、キューブリックの『2001年宇宙の旅』で使われている《ツァラトゥストラはこう語った》(*2)なんて、まさに意外性がありますよね。木星が映っていて《木星》(*3)が流れたらストレートですけど、ね。クラシックの歴史について僕は詳しくないですが、いかに現在の自分たちの表現が影響されてきたのかというのを、すごく思います。それは演出的な面も大きくて、例えば映画で悲しいシーンでは雨を降らせるとか。雨って、本来は人の情緒とは関係ないはずじゃないですか。悲しみを象徴するという共通の認識になっていて、その感情をコントロールするものとして、クラシックの曲がセットになっていることがすごく多い。劇伴などの演出にしても、情緒に訴えるようなメロディーをコントロールした結果ですよね。そのように表現のツールとして使われるのが当然ともいえる今、そもそもクラシックはどうやって映画で降らせる雨のように、音楽で感情を表現し共感を引き出す媒介として機能するようになったのかとすごく興味が湧いてきます。

*2《ツァラトゥストラはこう語った》・・・1896年にR.シュトラウスが作曲した、全9部からなる交響詩。
*3《木星》・・・1914年から1916年にホルストが作曲した、7つの曲から成る組曲《惑星》の第4曲。

——漫画をつくる際に、そのような演出の面で何か工夫されていることはありますか?

例えば『映像研には手を出すな!』も、乗り物やメカが多く出てくるので、教養がないと楽しめないみたいなところはあるんですが、教養というのは決して高尚なものではなくて、「あのロボットのジャンルね」と当たり前のようにそのカルチャーの話ができる人が持つ知識みたいなことです。ただ、同じカルチャーを共有できている人にはストレートに通じても、そうじゃない場合はノリ切れないということも絶対にある。漫画では、そのことも少し描いてるんですよ。主人公たちの突っ走り気味な空想に、客観的な視点からものいうキャラクターを登場させて、読者を置き去りにしてしまわないように工夫したほうがいいかなと思って。

——最後に、コンサートへ行くことにハードルを感じている人に、何かアドバイスがあればお聞きしたいです。

少し話が逸れてしまうかもしれませんが、クラシックコンサートでいうと、拍手の仕方も一つのカルチャーなのかなと感じたんですよね。例えば、アンコールでは拍手をどれだけ長く続ける必要があるのかということが実際に会場にいるとわかり、僕みたいに知識がなくても、とりあえず乗っかっておくことができるのは面白い。でも、全員初めて来たお客さんだったらそれは成立しないわけで。数百年前の人がやっていたかどうかはわからないけれど、そうやって受け継がれているものがあることを体感しました。先ほども少しお話ししましたが、ひとえにコンサートといっても、様々な人が観にきているんだと想像して、曲だけでなくコンサートホールでの「体験」自体に目を向けてみると、何か違う視点から興味を深めるきっかけになるかもしれません。

text / Shiho Nakamura photo / Shiho Kumai

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