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#6 S=Sound 聴衆と演奏者、両者が感じる「いい音」がある。

そもそもN響の歴史とは? コンサートにはどうやって参加するの? といった基本的なことから、知られざるN響の秘密まで、「O・R・C・H・E・S・T・R・A」を頭文字にもつキーワード毎に紹介していきます。

第6回は、クラシック音楽の要である「S=Sound」です。オーケストラの演奏にとって、コンサートホールの音響はとても重要なもの。それぞれのホールがどのような考えのもとで設計されているのか、それによってどのような音の響きが生まれるのか。今回はN響の定期公演会場であるサントリーホールの設計にも関わり、さまざまなクラシックコンサートホールを音響設計として支えてきた豊田泰久さんに解説いただきます。

「いい音」とは何か?

子どもの頃からクラシック音楽が好きで、中学でサクソフォーンを、高校でオーボエを演奏したこともありました。プロになるほどの演奏力がないことは自分でもわかっていましたが、それでも「音楽に携わる仕事がしたい」と思って1977年に永田音響設計という音響設計事務所に入社しました。そこで手がけたサントリーホールは、東京初のクラシック音楽専用コンサートホールです。

サントリーホール 大ホール 写真提供:サントリーホール

それまで東京のコンサートホールというと、上野にあるクラシック音楽の殿堂、オペラの聖地「東京文化会館」が有名でした。1961年4月に開館した東京文化会館は、ステージがあって、大道具や照明なども設置することが可能な、いわゆる「多目的ホール」。オーケストラの演奏ももちろんできますが、それだけでなくオペラや演劇、ポップスのコンサートなども上演できる場所です。1986年に開館したサントリーホールは、多目的ホールにとって必要不可欠である場面転換の機能も緞帳(どんちょう)も必要ない、クラシック音楽コンサートに特化したホールです。今からおよそ40年前、その音響設計に永田音響設計が携わることが決まったときには本当に興奮しましたね。思わず「私がやりたいです!」と手を挙げたことを今でも鮮明に覚えています。

コンサートやオペラでも使用される東京文化会館大ホール 提供:東京文化会館

音響設計事務所として我々がやらなければならないのは、「いい音」が鳴るホールを作ること。では、コンサートホールにとっての「いい音」とはなんでしょうか。身も蓋もないことを言いますが、「いい音」に正解などないんです(笑)。実際のところ「いい音って何?」と言われて正確に答えられる人などいないのではないでしょうか。そういう意味では、私たちも当時は暗中模索の日々でした。

例えば「クリアな音」「迫力のある音」など、音にはさまざまな表現方法がありますが、それって何か基準があるわけではなくて、かなり感覚的な意味合いを含んで使われることの方が多いですよね。僕らがサントリーホールに携わっていた頃は、そこが今よりももっと曖昧だった。ただ、あれから30年、40年と経過して、他にもいくつかコンサートホールの設計に携わる中で、自分なりに「いい音」を定義しなければならなくなってきました。結論を言えば、いい音とは「豊かな音」「リッチな音」のことではないかと今は思っています。

ウィーン楽友協会大ホール

「豊かな音」といっても、例えばお風呂場でワンワンと鳴り響くような音では困ります。ステージの上の各楽器の音は、ちゃんとクリアに聴こえてほしいわけです。しかしながら「豊かな音」と「クリアな音」は相反するところが往々にしてあるんです。豊かな音になるほどクリアさに欠ける音になるし、クリアにしていくと今度は豊かではなくなってしまうんですよ。

でも、例えばニューイヤーコンサートでも知られるウィーン楽友協会の大ホールのような、いい音が鳴るコンサートホールの最高峰とされている場所へ行ってみると、「豊かな音」と「クリアな音」がちゃんと両立しているんですよ。物凄く豊かで迫力もあり、音も近い。その上で各楽器がちゃんとクリアに聴こえてくるんですよね。ですから、我々がコンサートホールを作る時も、そこをちゃんと両立させなければいけないと思っています。もちろんそれは簡単なことではないですし、いまだに模索し続けているところでもあるんですよね。

いい音は、演奏のクオリティにも影響する

優れた音響のためにはホールの設計だけでなく、「音源」も重要な要素です。ここでいう「音源」とは、すなわちオーケストラによる演奏のこと。どれだけ素晴らしい音響施設があっても、そこにオーケストラがなければ「音」はないわけですからね。音源の良し悪しは、当然ながら「良い音かどうか?」に影響を及ぼします。オーケストラがもともと持っているポテンシャルはもちろん、その日のコンディションによって演奏のクオリティ(音源の良し悪し)も変わってきます。しかも、そうした演奏の出来不出来のメカニズムは音響設計よりも複雑ですよね。だからこそ“面白い”わけですけれども。

コンサートホールを設計する際、「聴衆にとっていい音であるか?」と「演奏者にとっていい音であるか?」のどちらを優先させるべきかという議論はしょっちゅう交わされますが、どちらか一つを選ばなければならないとしたら、やはり演奏者にとって「演奏しやすい音響」であるかどうか? になるでしょう。演奏者にとって良い音響であれば、パフォーマンスも上がりますし、結果的に聴衆は「いい音響の中での、いい演奏」が楽しめる。結果的に、そのコンサートホールは「いい音」ということになりますからね。

余談ですが、これからのコンサートホールは可能な限り聴衆と演奏者の距離をなくし、音楽の中に没入するような「体験」ができるものになっていくのではないでしょうか。例えばベルリンに新しくできた室内楽ホール「ピエール・ブーレーズ・ザール」や、ハンブルグの大ホール「エルプフィルハーモニー」などは、そのようなコンセプトで生まれたものです。

ピエール・ブーレーズ・ザール

今、東京を拠点にしているプロの常設オーケストラは多くありますよね。似たところでいうと、ロンドンの場合も同様にそれなりの数のオーケストラがありますが、世界的にもこれは珍しいことなんです。しかも東京には、コンサートホールの数も多い。サントリーホールやNHKホールを筆頭に、東京芸術劇場、東京オペラシティ、オーチャードホール、すみだトリフォニーホール……、他にもたくさんあって、東京のオーケストラはそういう慣れ親しんだ場所で自分たちの演奏ができるわけです。それに比べると、ロンドンはいいホールがあまりないので、オーケストラは苦労していると聞きます。それを思えば、東京に住むクラシックファンはとても恵まれていますよね。

先ほど言ったように、それぞれのオーケストラの違いは、単に演奏が上手いか下手かということだけではありません。ホールの音響とオーケストラのクオリティは切っても切れない関係なんです。となると、多くの組み合わせを東京で楽しめる状況にあるわけです。ですので、ぜひともご自身の耳で「音の違い」を確かめてみてほしいですね。


text / Takanori Kuroda

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