#3 ファビオ・ルイージ(N響首席指揮者)|「音楽は演奏されるその瞬間だけ命が宿るのです」
<質問したミュージシャンと答えた指揮者>
Question1
Answer1
ピアニストとして研鑽を積んだ後、はじめたのは歌い手へのコレペティトゥア(ボーカルコーチ)としての仕事を開始。当時から生まれ故郷のイタリア、ジェノヴァのオーケストラをよく聴いていました。間もなく、歌とオペラ、そしてオーケストラの奏でる音楽へ情熱を抱くようになり、指揮を勉強し始めました。転機は、故郷のジェノヴァでオーケストラの演奏会を指揮していたマエストロ、ミラン・ホルヴァート(*1)に出会ったことです。私はマエストロをとても尊敬していたので、どこかで教鞭をとっていらっしゃらないかと尋ねたところ、オーストリアのグラーツ国立音楽大学(*2)で指揮法のクラスを持っているので、そこへ来るようにと教えていただいたのです。それから、指揮者としての勉強が始まりました。
Question2
Answer2
迷信は信じませんから、必ず行うルーティンのようなものはありません。演奏会、あるいはオペラの公演を指揮する日は、とにかく体を休め、その日の夕刻に成し遂げるべき仕事に集中します。それは、指揮をすること、そして指揮する作品に専念するためです。人に会うことは避けますし、その日の夕刻になすべきことから私の気持ちを大きく逸らしてしまうようなことはしないように努めます。
Question3
Answer3
オペラの上演中に起こったハプニングをいくつか覚えています。例えばウィーンで演奏中、オーケストラピットに何かが落下し楽員にあたったんです。当然、演奏は中断。楽員の怪我の具合を見て、中断したシーンをはじめから演奏し直しました。ミュンヘンの演奏会でも《シモン・ボッカネグラ》(*3)の重要な部分を演奏している最中に歌手の1人が突然倒れたことがありました。ウィーン同様、歌手が回復するまで演奏を中断しましたね。
あとは、オーケストラの演奏会でもソリストが旋律を忘れてしまい、また最初からやり直すということもありました。
Question4
Answer4
いかなる分野においても、やる気を持つこと、それが良い結果を導く最も重要な鍵になります。これはオーケストラの向上に関しても然りです。ですから、楽員が私のアイデアに従うようにやる気を出させて、それを演奏に引き出すことができたら、指揮者としてひときわ優れた結果を得ることができます。それを達成するためには、私がオーケストラの楽員の仲間とならなくてはなりませんし、また同時に、彼らに私たちが一緒に歩む明白な道筋を理解してもらえるように示さなくてはなりません。
Question5
Answer5
クラシック音楽における指揮者という職業は、良くも悪くも変わりましたし、今もなお変わり続けています。良い面は、指揮者はもはや独裁者ではなく、楽員の仲間になったことです。この仲間意識を通してのみ、指揮者は、質の面でも解釈という面でも重要な目標を達成することができます。マイナスの面は、オーケストラを取り巻く外の環境です。つまり必ずしもプロ的とはいえないようなイメージを宣伝する、ポピュラー音楽同様のガイドラインで導いてしまうこと。その傾向は(能力、真剣さ、まじめさ、文化、経験など)コアとなるものよりも、視覚的なものにより重要性を置くようになってきてしまったことです。
技術、テクノロジーはオーケストラの活動を促進するためのものでした。そしてそれは今でも同じです。カラヤンについては、技術的な面に質の高さをもたらしたということで重要な存在ですよね。
しかし音楽作りの本質は、演奏が生で行われている最中、演奏者、オーケストラ、指揮者などの音楽を解釈する側と、それを聴く聴衆がどう関わり合うかということ。そこでは“質”だけが重要だと私は思います。音楽は人間の耳に訴える感覚的な現象で、視覚に訴えるものではないというのは一目瞭然です。そして、音楽は生で演奏されているその瞬間にしか命がない。それ以外のものはすべて一時的なもので、内在的には不要なものなのです。
<質問者プロフィール>