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クラシック音楽と将棋、その共通点。|佐藤天彦 × 横島礼理

N響の楽団員がオーケストラを飛び出し、今最も気になる人に会いに行く特別企画。将棋の熱狂的なファンであるN響第1ヴァイオリン奏者の横島礼理が、棋士の佐藤天彦さんの元へ。なんでも佐藤さんもまた、かなりのクラシック音楽通なのだとか。奇しくも同世代の2人。初対面なのに会うや否や、クラシック音楽談義はノンストップのようで……。

クラシック音楽も将棋も、
早い段階で人生の分岐点が訪れる。

横島礼理(以下、横島):実は僕、N響に入った時の歓迎会で、大好きな将棋に救われたことがあって。趣味を聞かれて「将棋です」と答えたら、「ウソつけ」「知的ぶって」とガヤが入ったんです。その様子を見ていた将棋好きの先輩から「将棋の戦法で例えるなら、N響でどんな風に活躍していくの?」と無茶振りされて、「棒銀(ぼうぎん)のように頑張ります」って答えたんです。みんなキョトンとしていたんですけど、その先輩が「一直線に頑張るってこと」と解説すると、拍手喝采が起こって(笑)。そのくらい本気で将棋が好きなので、天彦さんとお会いできるなんて夢のようです。
 
佐藤天彦(以下、佐藤):めちゃくちゃ嬉しい。ありがとうございます!  僕は特に楽器ができるわけでも、理論がわかるわけでもないんですけど、中学生の頃からクラシック音楽がずっと好きで。今回、横島さんからお声がけいただいて、YouTubeで演奏を聴かせていただいたんですが、横島さんのヴァイオリンはほのかな官能性を感じました。いやらしくない程度のエロティシズムというか。僕の中でもそういうのが聴きやすさの指標の1つになるので、すごく惹かれるものがありました。

演奏曲:エルンスト《6つの対位法的練習曲 第1番》
横島礼理YouTubeチャンネルから(総合監督:古谷悟史/音楽監督:杉浦真太朗/企画:コンサートソン事務局/協力:日本音楽財団(日本財団助成事業 2021年度))

横島:こんなに褒めていただいて、ちょっと泣きそうです……。実際に、N響のコンサートをご覧になっていたりするんでしょうか?

佐藤:最近は忙しくて行けていないんですが、昨年は指揮者のファビオ・ルイージの、ワーグナーとブルックナーのプログラムを聴きに行きました。ちなみに横島さんは、N響にはいつ入団されたんですか?

横島:約10年前の、24歳の頃です。23歳の時にオーディションに受かり、1年間の試用期間を経てN響に入団しました。

佐藤:当初からオーケストラで弾きたいと思っていたんですか?

横島:ヴァイオリニストって、途中までソリストを必ず目指すものなんですよね。ですが、やっぱり諦めなくちゃいけない瞬間が訪れる。それでオーケストラプレイヤーになっていく人が多いですね。

佐藤:横島さんも、挫折した経験があるのでしょうか?

横島:そうですね。僕はヴァイオリンを5歳から始めたんですが、最初に挫折を味わったのは高校1年生の時。音楽学校に通っていたんですけど、エリートの集まりのような学校で。上には上がいることを目の当たりにして、「あ、この人たちには敵わないな……」ってなりました。大学に入ってからも、進路を考えてみても、オーケストラに入れる保証も一切ない。将来、食べていけるのかという不安はめちゃくちゃありました。音大生のみんなが持っている悩みだとは思いますけど。

って、僕の話ばっかりですみません。だけど天彦さんのご著書を拝読した時、共通するものを感じたんです。棋士は早い段階で人生の分岐点が訪れるということが書かれていて、自分も同じだったので。

佐藤:やっぱりそう思いますよね。僕も横島さんと同じく、将棋を始めたのが5歳。プロになるかならないかの選択肢を早い段階で迫られるし、いろいろな人生の選択肢が並び終わる前に、自分の進路を決めなくちゃいけませんでした。そう考えると、将棋も音楽もなかなか特殊な世界。この先、将棋や音楽で食べていけるかどうかはわからないのに、子供の頃から、そういう将来へのプレッシャーを感じているんですよね。

横島:本当にそうですね。こんなこと言ったらN響の先輩方に怒られてしまうかもしれませんが、自分のスキルの中でヴァイオリンが一番マシという感覚があるんです。もちろん、クラシック音楽もヴァイオリンも大好きで、音楽への興味は尽きないですし、常に情熱を持っていられていると思います。とくにN響は意外と珍しい楽曲を演奏したりするので、常に新鮮味を感じられていますしね。

新しい美しさを生み出す、禁則破り。

横島:天彦さんは、どうしてクラシック音楽がお好きなのでしょうか?

佐藤:200〜300年も前の、現在では存在していない作曲家たちの思いやメッセージを届けられるんですよね。特にモーツァルトが好きなんですけど、将棋に負けた時でも、時を越えて心の中にすっと入ってきてくれる。僕はそういうところにロマンを感じます。横島さんはどうですか?

横島:僕の場合、天彦さんがおっしゃる「時を越えられる」のはクラシック音楽の魅力であり、難しさでもありますね。楽譜に書いてあることはごく一部なので、それに対しての解釈は演奏者や指揮者によってもそれぞれ違う。数値化できないから難しいんですけど、それがやっぱり面白さでもありますね。

佐藤:確かに将棋と違って、クラシック音楽は数値化できるものでもないし、勝ち負けもありません。抽象度が高い分、感想を簡単には述べられるものでもないし、場合によっては楽曲を聴きながら別のことを考え始めることだってあります。むしろ楽曲からインスピレーションを受けて、自分の問題意識なんかを考え始めたりもする。クラシック音楽が面白いのは、プログラムの2時間の間に、いろいろな瞬間を味わわせてくれるところ。もちろん、いい演奏だなって感動する瞬間もあるし、オーケストラの個性に感銘を受けることもあるし、録音との違いに圧倒されることもある。そういう瞬間がいくつもあるのが、やっぱり楽しいですよね。

横島:いやぁ、本当に鋭い視点ですね。音楽をめちゃくちゃ聴いている方のご意見です。そう言えば、天彦さんが音楽理論を習っていると聞いたんですが、本当ですか?

佐藤:22 歳から5年くらいピアノを習っていて、その後辞めてしまったんですが、いつか音楽理論を習いたいと思っていたんです。元々、古典派のクラシック音楽を聴くのが好きというのもあって、そこにはパターン化された理論が存在するだろうと、なんとなく感じていて。それで3、4年ほど前から習い始めたんです。本当に何も知らなかったので、ゼロから。トニック、ドミナント、サブドミナントなどの機能和声があるから、こういう進行になるんだなということが少しずつわかってきた感じですね。

横島:クラシック音楽を聴く上で、音楽理論を理解した方がより楽しめるから、学ぼうと思ったんですか?

佐藤:正直、そういう謙虚さはあまりないです(笑)。どちらかというと、作曲家に憧れがあって、自分でも曲を作ってみたいという気持ちの方が大きいんですよね。なぜなら、音楽は根源的な意味で人に楽しいと思ってもらえたり、幸せを感じてもらえるから。そんな風に思ってもらえる存在がうらやましい。まぁ要するに、作曲家たちを深く理解するためではなく、彼らに近づきたいから曲を作りたいんですよね。めちゃくちゃおこがましいですけど。

横島:いつか曲ができちゃいますね。それで言うと僕は、古典音楽のルールから外れた禁則マニアなんです。例えば、モーツァルトのクラリネット五重奏曲。弦楽器から始まりますが、ファーストヴァイオリンが第5音の「ミ」、セカンドヴァイオリンが第3音の「♯ド」、チェロが根音(第1音)の「ラ」、ヴィオラが「♯ド」なんですよね。第3音は重ねちゃいけないって習うのに、スタートからいきなり重なっているんです。和声進行も変で、普通に考えたら気持ち悪いんですよ。

佐藤:当たり前のように聞こえるけど、ヘンテコな和声進行なんですね。

横島:そうなんです。あとは逆進行も好きで。通常、トニック、サブドミナント、ドミナントという進行で、ドミナントの次は必ずトニックに進行しないといけないルールがあります。だけど禁則の逆進行では、ドミナントからサブドミナントに行くんです。これをよくやるのがシューマンやブラームスなんですが、こういう禁則破りが好きなのは、新しい美しさを生み出しているから。そこに作曲家たちのクリエイティビティを感じるというか。

佐藤:ユーモアと遊び心ですよね。普通の進行でもいいメロディなのに、あえてそれをやらない。これまで以上のものを求める姿勢は、やっぱりかっこいいですね。

ベートーヴェンは知り合いの知り合い。
そのくらいの距離感でいればいい。

佐藤:クラシック音楽は合理的で構築的な世界だけど、解釈の広がりや演奏する側の自由度を考えると、やっぱり音楽特有の豊かさを感じますね。先ほど数値化しにくいという話もありましたが、将棋の世界でもAIの登場によって、どちらが優勢かというようなことはパッと見てわかるようになりました。これはメリットでもありますが、他方で指し手の意味までは評価できない。将棋は盤上での相手との対話でもあるので、そのメッセージのやりとりまでは表現しきれないと思うんです。人間の世界では合理性は大事だと思うけれど、やっぱりその根源は感情です。その両方があり、その間で揺れ動くのがAIとの違いだし、それが人間らしさというもの。一流の作曲家たちが残したクラシック音楽は、そういう人間の機微を表現できているから、今の時代まで残っているんじゃないかと思います。

横島:人間らしいと言えば、クラシック音楽は指揮者によって演奏が変わるのも面白いですよね。聴く側もそう感じると思いますが、演奏する側からしても、指揮者の力量や才能が演奏に如実に出るのを実感しています。まるで魔法のようだけど、指揮者の手の動きや呼吸、仕草で、こういう音やニュアンスを欲しているんだと、演奏する僕たちもわかるんです。

佐藤:そういう風に、クラシック音楽はエンタメ的に楽しめるのがいいんですよね。崇高なものではなく、指揮者によって演奏が違うことを楽しんだりと、聴いていて楽しいポイントがいくつもある。作曲家たちも1人の人間として面白いし、僕はとくにベートーヴェンは「オラオラオラオラ〜」みたいな感じで、ノリノリで聴いたりしています(笑)。

横島:《第9》なんかはそうなりますよね(笑)。

佐藤:なかにはヘドバンしているような気分になれる曲もあったりするんですよね。オーケストラを聴きにいく時も、身構えたりもしません。もちろん、時を超越するような瞬間を味わえることもありますけど、ただただ楽しいから聴きにいっているというか。

横島:気張らず、素直に受け止めている感じなんですね。

佐藤:そうですね。偉大とも言われる作曲家たちですが、誤解を恐れずに言うと、僕としては知り合いの知り合いくらいの存在。「あの時、ベートーヴェンって何を考えていたと思う?」くらいの距離感で捉えてみると、彼らの人間としての本質も掴みやすくなると思うんです。

横島:確かに神格化されすぎているのかもしれません。作曲家たちを1人の人間として捉えると、もっとクラシック音楽が身近に感じてもらえる気がしますね。

佐藤:作曲家たちもおそらく、偉くなりたいとは思っていなかったはず。むしろ、人間の心を生で感じてほしいと思っていたのではないでしょうか。だから、僕たちは「こんな曲作って、何考えているんだろう?」って想像しながら、クラシック音楽を聴いてみたら楽しいと思います。


かねてから佐藤天彦さんの大ファンであった横島。取材後に私物である佐藤さんのご著書『理想を現実にする力』にサインをお願いすると、佐藤さんは快く引き受けてくださいました。

text / maki funabashi photo / akari nishi

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