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「8回目のN響は、体感する悦びを改めて教えてくれた。」|片岡真実さん(森美術館館長)
生のクラシックコンサートの醍醐味は、何回訪れても、常に新しい感動や発見が得られること。例えば、はじめて訪れた時にはただひたすら音に身を委ね、2度目のコンサートでは奏者の表情に注目し……、回を重ねれば、お馴染みの楽員を目で追うようになることもあるかもしれません。この連載企画「〇回目のN響」では、はじめての方にもそうでない方にもN響のコンサートを鑑賞してもらい、会場でどんな体験ができたのか、その日の演奏からどんなことに思いを巡らせたのか、話を聞いてみます。
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第1回に登場するのは、森美術館の館長を務めるキュレーターの片岡真実さん。「N響の公演には、8回以上は行っているはずなんだけど……」という片岡さんが、去る10月に訪れたのは、東京芸術劇場のコンサートホールです。グリーグ《「ペール・ギュント」組曲 第1番》とドヴォルザーク《交響曲第8番》が演奏された池袋Cプログラムを鑑賞し、N響のコンサートを通して改めて芸術体験の素晴らしさを体感できたといいます。
芸術は、五感で体感するもの。
今回、N響の池袋Cプログラムに初めて訪れました。通常のコンサートは2時間ほどありますが、いつも「1日が24時間では足りない」と思うほど日々せわしないものですから、休憩なしの約1時間のプログラムは、すごく気楽に楽しむことができて、これはいいな、と思いました。
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そして何より、コロナ禍において、なかなかリアルな芸術体験ができない日々が続いたので、生のコンサートの素晴らしさに感動しましたね。コンサートホールという特別な空間のなかで、奏者と楽器から放たれた音の波動が壁に跳ね返って、自分の身体に入ってくるのが生き生きと感じられる。「体感」とはこういうことだと改めて実感する時間でした。
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これは展覧会をつくることにも似ていて、美術館もコロナ禍ではオンラインのギャラリーツアーをするなどいろいろと試みましたが、実際の空間で大がかりなインスタレーションや大型の絵画、様々な素材で制作された作品を見るという体験は、やはり目からの情報だけでなく五感をフルに使って体感しているもの。コンサートも同じだなぁ、と思います。
今回の公演ではグリーグとドヴォルザークの有名な楽曲が演奏されましたが、どちらも19世紀後半の作品で、前者の一部分はアフリカが舞台になっていて、後者はチェコで作曲されました。そのためか、演奏を聴きながらまるで具象絵画を見ているような時間でもありました。風景画にも見えてくるし、人の感情の起伏というものが極めてわかりやすい旋律だな、と思ったり。コローやモネといった同時期の風景画や印象派の絵画、あるいは少し前のコンスタブルなどを連想していました。同時に、実際に作曲家はどんな風景を見ていたのだろうかと想像を巡らせていました。
N響の魅力のひとつは、クラシック殿堂の楽曲からもっとも新しいものまでカバーされているという、幅の広さにあるのではないかと思います。
コンサートは、温泉に浸かるのと同じ気持ちで。
実は、これまでにN響のコンサートを鑑賞した回数が8回というのは、少し正確ではありません。というのも、私のN響体験は子供の頃、両親がほぼ欠かさず見ていたNHKの「N響アワー」に始まり、長じてからは現代音楽の最先端が知りたくて「Music Tomorrow」(*1)はいつも気にしているのですが、都合が合わなくて行けていないのもありますから。今までに旅をした回数を聞かれてもなかなか答えられないのと同じで、いつも気軽な気持ちでコンサートを訪れているためなのかもしれません。
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そもそも私のクラシック音楽に対する理解度は、私が普段携わっている現代アートのそれとはまったく違って、素人そのものなんです。
例えば美術の展覧会であれば、展覧会のコンセプトや作家のバックグラウンドなどの情報をもとに見ます。そこからさらに作家の新作について深掘りをしたりすることによって、展覧会を企画し、つくることへとつながります。コンサートと同じ芸術体験であっても、美術展は、プロフェッショナルゆえの雑念が入って少し批評性をもって眺めてしまうもの。
でも、クラシック音楽に対する知識は表層的なものですから、生のコンサートを体験して、気持ちのいい時間を単純に楽しんでいるのだといえますね。そう、私にとってコンサートは、「温泉に浸かりに行く」のと似ているのかも。音という温泉に浸かってリフレッシュするんです。仕事帰りに夫とホールの近くで待ち合わせて、ちょっとワインを楽しんでからコンサートに出かけることもありますよ。
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とはいっても、作曲家や指揮者、演奏者のことを知るとまた楽しみが広がると思います。ですから、演奏会で配布されるプログラムノートは、開演前にしっかりと読むことにしています。作曲家が何歳の時にどういう状況でその曲を作ったのか、どんな心境で音が作曲家の頭に浮かんだのかなと想像して、コンサートを聴くのはひとつの楽しみですね。
演奏から視覚的なイメージを想像する。
コロナ禍によって2020年は中止となったMusic Tomorrowですが、今年は復活したのがとても嬉しいことです。今年6月に鑑賞させていただいたのですが、細川俊夫さんが2019年に発表した尾高賞(*2)受賞作品《渦》が演奏されました。私は、コンサートでは音楽を聴きながら何らかの視覚的なイメージを想像するのですが、ものすごい水の動きと、空気の躍動がビジュアライズされたのを感じました。音自体よりも、その時にイメージした光景が強く記憶に残っているほどです。
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また、2017年のMusic Tomorrowも印象的でした。個人的にも存じ上げている一柳慧さんが作曲した《交響曲第10番》が尾高賞を受賞し、演奏された公演です。一柳さんには、私も企画に関わった「メタボリズムの未来都市展」(2011年)という展覧会に、五線譜を使用しない“図形楽譜”を出品していただきました。楽譜をいろいろ見せていただいたのですが、ビジュアルとして面白いと思ったのがこの作品だったんです。数字や線の長さ、形がどのように音に転換されていくのかがわからなかったとしても、想像するだけですごく面白いと感じた楽譜ですね。
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オーケストラとは、演奏者それぞれの表現をまとめて全体像にすることでもあると思うのですが、展覧会のキュレーションとも重ね合わせることができると思います。グループ展や国際芸術祭のように、数十人の作家が集まる展覧会がありますよね。ここでは、個々の発している表現を紡ぎ、ストーリーとしてまとめるために、視覚的、空間的、意味的にもつなげていく作業をするのですが、その複雑さと、交響曲が作曲されて実際に演奏される複雑さを考えると、通底するものを感じるし、本当によくできているなと感激します。
そして今回コンサートを鑑賞して、改めて芸術体験とは? と、問い直すことができたように思います。
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注釈
*1 Music Tomorrow・・・1988年にMusic in Futureの名でスタート(1993年よりMusic Tomorrowに変更)。「尾高賞」(*2)受賞作品と委嘱作品の初演を中心に、現代作品の潮流が俯瞰できるコンサートとしてN響が長年取り組んできた企画。
*2 尾高賞・・・1951年に39歳の若さで世を去った、当時のN響専任指揮者尾高尚忠氏の生前の音楽界に遺した功績を讃え永く後世に伝えるために、亡くなった翌年の1952年に制定された作曲賞。選考の対象となる作品は全国のオーケストラ、音楽機関団体等の推薦による候補作品の中から選考する形をとっている。
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text / Shiho Nakamura photo / Shin Inaba