心とからだにじわじわ効く、特別なあの音。
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心とからだにじわじわ効く、特別なあの音。

熱のこもった指揮者の動きと、それに呼応してオーケストラが織り成す音の躍動。そして演奏を締めくくる割れんばかりの拍手と観客たちの笑顔。五感をフルに使って音楽を味わえることこそ、クラシックコンサートの醍醐味です。
学生時代の一風変わった友人がきっかけでクラシック音楽を聴くようになったという精神科医でミュージシャンの星野概念さん。以来、折に触れて幾度か足を運んだクラシックコンサートで星野さんが感じたことも、やっぱり生演奏の「何物にも代えがたい特別さ」だったといいます。


 僕はこれまで、クラシックのコンサートに頻繁に足を運んでいたわけではありませんが、音楽は全般的に好きで、嗜む程度ではあるもののクラシック音楽も聴いてきました。

クラシック音楽の中で主に聴いてきたのは独奏曲でした。特に学生時代、萩原朔太郎とアルチュール・ランボーというやや難解な詩人に同時期に夢中になり、詩の交換を続けるという若さゆえの少し恥ずかしい思い出を共有した友人に教わったバッハのピアノ独奏曲の、脳の奥から興奮が静かに滴り落ちてくるような魅力は新鮮でした。

その後社会人になり、酒を飲むかクラシックを聴くかの二種類しか生活の選択肢がないような別の友人ができ、彼に指南されてオーケストラを勉強中です。この二人の影響からか、クラシックに詳しくて丁寧に教えてくれる人は、かなり偏った素敵な変人という印象を持っています。この印象もまた、かなり偏ったものなのでしょう。

近年では、何度かオーケストラを聴きにホールにも足を運び、独奏曲にはないダイナミクスに圧倒もされました。

また、頻度はだいぶ少なくなったものの、自分でもポップスやロックのライブハウスなどでの演奏活動を続けています。2020年以降、感染症の蔓延がいまだに続く現在、ライブやコンサートという音楽を届ける現場の試行錯誤は、途方に暮れるほど大変なもののように思えます。

音楽の配信技術が広まったことは、遠方にいても演奏を楽しめる人が増えたという点では良かったのかもしれません。でも、自分でも聴き手として色々な音楽の演奏をオンラインで体験してみて、やはり現場に身を置いてする体験との圧倒的な差があることを感じています。差があることは予測していたけど、そもそもこの差はどういう現象なのでしょうか。

 僕が連想したのは、まさかの「だし」です。

そう、あの日本人の食卓を支えている、縁の下というか、味噌汁の中の力持ちのようなアレです。僕はだしがとても好きですが、みなさんはどうでしょうか。

だしの何が素敵かというと、味の表現が難しいところです。甘いとか辛いとか、何か突出した要素はありません。でも明らかに味があって、旨い。よく味わおうとしてみると、色々な味が混在しているような気がしますが、一言では言い表せないほど複雑で、結局旨いとしか言いようがないのです。

実際、だしには多くの微量成分が含まれているらしく、それらの絶妙なバランスが、だしのあの旨味を生み出しています。その複雑さは、恐らく科学的に解析し切れないはずです。人工的な技術でできる限り細かく再現したものは、素材からとっただしと似ているけど、味のバランスに少し違和感があったり、何か足りないような感じがします。

こういった違いはとても小さなものですが、それがあるのとないのとで、からだが感じる喜びが全然違います。もしかしたら、別々で味わったら分からないかもしれないけど、味わい比べてみればその違いが感じられるはずです。

コンサートホールは、壮大で複雑で、まるで宇宙だ。


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 音楽を現場で聴くのとオンラインで聴くことでも、これと相似形のことが生じているように思えます。配信技術が進んでいって、自宅でも良質なスピーカーなどの機材を揃えれば、かなり現場で聴くような気分に浸れるかもしれません。

でも、やはり現場で聴くのとは違います。現場で音楽を聴く時、高性能なマイクでもひろい切れない倍音などがあるかもしれません。視覚やその場の空気感を現場と同じようにオンラインで感じることは難しいでしょう。それらの、決定的ではない程度のいくつかの違いが、からだの喜びに差をもたらすような気がします。

もちろん、自宅でなるべく良い環境を用意して、リラックスしながら楽しむコンサートは格別なものだと思うので、どちらが絶対的に良いとまでは言えません。

ただ、僕はこれまで数回しか体感したことがないクラシックのコンサートで、音が小さな粒子のようになってたゆたっているような感覚を得たり、その粒子が塊になってステージから飛んできて、全身を包みこまれているように錯覚するほどの快感を感じたりしました。その複雑な迫力は、今のところオンラインでは実感できたことがありません。

思わずだしを引用してしまったので、コンサートのダイナミクスを伝えにくくなってしまいましたが、現場ならではの壮大で複雑で宇宙のような絶妙なバランスは通ずるものがあるのではないでしょうか。それを体感しに、またコンサートに足を運びたいと思っています。



注釈
*1倍音・・・ひとつの音が持つ細かな周波数よる、音の成分。楽器によって倍音は異なるため、同じ音階であっても音色が違って聴こえる。


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text / Gainen Hoshino illustration / Yoshifumi Takeda

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