#1 クラシックと、ポップスは、地続きだ。
クラシックやアンビエントなど、さまざまな音楽のエッセンスを取り込みながら活躍する音楽家であり、WONKやmillennium paradeのキーボーディスト、映画音楽作曲家としても活躍する江﨑文武さん。4歳でピアノを始め、子どもの頃はジュニアオーケストラに所属していたという彼は、その音楽活動の端々でクラシック音楽から影響を受けてきたといいます。今回江﨑さんがN響を訪れ出会ったのは、N響を指揮する世界的巨匠たちをアシスタントとして支えてきた指揮者の熊倉優さん、ヴィオラ首席代行奏者の中村翔太郎さんという同世代2人。それぞれ気鋭の若手として注目を集める3人の語らいからは、ジャンルを飛び越えた「音楽」の魅力が見えてきました。
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「ミュージシャンたち、N響へ行く」は、普段はポップスのフィールドで活躍するミュージシャンたちが、N響の楽員たちと語らったり、リハーサルの現場やコンサートを訪れたりすることで、彼らの視点で、クラシック音楽の隠れた魅力を引き出していく連載企画です。
今につながる、はじまりの音楽とは。
江﨑文武:お2人と共通していると言うのは恥ずかしいくらいなんですが、僕が音楽を始めたきっかけもクラシックなんです。大学でもクラシックを学んでいたのですが、実は中学生の頃からジャズやR&Bにどっぷり浸かっていました。
中村翔太郎:ご出身の福岡県ではジュニアオーケストラに入っていたとか。楽器は何をやられていたんですか?
江﨑:僕はピアノしか弾けないのですが、ジュニアオケの人員が足りていなかったので、先生に「江﨑君、ホルンとチェロのパートをピアノで足して」と言われたりしていました(笑)。熊倉さんもジュニアオケに入られていたんですよね?
熊倉優:はい、一応ヴァイオリンからスタートしました。ただ僕の不真面目さと言ったらひどいもので(笑)。家では本当に練習しませんでした。
江﨑・中村:(笑)。
熊倉:でもオーケストラだと周りに人がいて、1人では弾けない曲を演奏できるのが楽しかった。それが音楽への興味を深める最初のきっかけだったと思います。
江﨑:誰かと一緒に演奏するのは、ジャンルを問わず楽しいものですよね。中村さんが音楽に興味を持ったきっかけは何だったんですか?
中村:僕は間違いなく、葉加瀬太郎さんです。「情熱大陸」のテーマ曲を聞いて、かっこいいなと思って。僕がヴァイオリンを習い事として始めたのは4歳の時なのですが、当時はそのテーマ曲が弾けるようになるのがゴールでした(笑)。
熊倉:うん、でも“近い目標”って大事だったりしますよね。僕は子どもの頃は本番となると手が震えたりして本当に緊張するタイプだったので、演奏者になるのは無理だなと思っていた。そうすると作曲なんかに興味が移っていって、とりあえずソフトに打ち込んで作るようになりました。
江﨑:打ち込みで作曲し始めたんですね。Finale(*1)などの楽譜作成ソフトに続いて新しい音楽制作ソフトがどんどん出てきたのは、僕らが中高生だった2000年代ですよね。
熊倉:そうですよね。あと、テレビドラマ「砂の器」(*2)のオープニング曲も衝撃的でした。千住明さんのピアノコンチェルト(《宿命》)ですね。もちろんテレビドラマも好きだったんですが、音楽のことばかり考えていたなぁ。もしかすると、クラシックだけじゃなくて、テレビを通した音楽からも影響を受けて作曲への気持ちが生まれてきたのかな、と思います。
江﨑:実は、僕も千住さんの《宿命》がオーケストラサウンドへの興味の入り口なので、びっくりしました。あの時の衝撃は忘れられないし、かなり大きな影響を受けています。
音楽は、演奏はしても、あまり聴かない!?
江﨑:普段お2人はどんな音楽を聴くんですか?
中村:実は、音楽はあまり聴かないんですよね。でも、これは職業柄だと思いますが、街中やどこかから流れてくる音楽は常に耳に入ってきています。その音から、どういうものが自分にとって心に刺さる音なのかと考えるのは、普段意識せずにしていることなのかな、と。
熊倉:僕も同じで、普段はあまり音楽を聴かないです。聴くのが嫌いという意味ではなくて、集中力を持っていかれてしまうというか。その曲がすごくいいものだとしても、聴き終えると「はぁ、ぐったり」という感じになってしまって、聴き流すことができないんです。
江﨑:学生の頃もそうでしたか?
熊倉:中高生の頃はバンドを組んでいる友人も周りにいたので、流されながらポップスを聞いたりもしていました。でも、楽譜を見せてもらったら、自分がいつもやっているクラシックの楽譜とまったく違うんです。同じ「楽譜」ではあるのに、自分の見ている世界とは異なる世界があると知りました。
江﨑:僕も高校の時、友達に「カラオケ行こうよ」と誘われて行くのですがあまりついていけないタイプでした(笑)。その頃はとにかくジャズに夢中で、当時流行っていた音楽やバンドサウンドみたいなものにまったく興味を持てませんでした。
中村:僕もカラオケは苦手……。音大卒の人はカラオケがうまいというイメージを早く払拭したいです(笑)。
江﨑・熊倉:あはは(笑)。
江﨑:ポップスは基本的には楽譜がないので、奏者のクセなどに委ねられる部分が大きいし、そもそも再現されることを想定していない音楽だと思うんです。一方で、クラシックは再現・再生産されることを想定している音楽でもありますよね。決められた部分と決められていない部分の間にある表現にオーケストラの個性が出ると思うのですが、そこがすごく面白いし、すごく難しそうだとも思います。
熊倉:僕は逆にポップスが難しそうだと思うので、お互いにそう思うのかもしれないですね。
クラシックであれポップスであれ、
音楽とは「人間を知る」ことだ。
熊倉:安易な言い方かもしれませんが、江﨑さんが制作されているような現代の曲は「0」から作り上げるもので、クラシックは「1」という基本のものがある。僕も大学の時に作曲をやっていたのですが、0から作るのはとてつもなく大変だと思いました。
中村:そもそもクラシックの作曲家は、ずっと演奏されることも狙ってつくっているのかな……。
熊倉:そうですよね。残そうと思って作られたものももちろん沢山あるとは思うけど、もしかしたら残っていない楽曲というものも沢山あるかもしれない。でも、歴史の長さは違えどポップスでもずっと残っている楽曲ってありますよね。楽譜があるから現在まで残っているとは100%言い切れないのではないかな、と。
中村:ジャズにしてもポップスにしても、もともとはクラシックの仕組みがあってこそ派生してきたものだと思うので、根本は一緒なのかな。例えば「ドラクエ」の音楽(*3)だってクラシックがベースにありますよね。
江﨑:確かにそうですよね。でも、録音技術が登場して以降、文脈が変わってきたのかな。例えば、プログラミングで曲を作るのはジェネラティブアート(ソフトウェアのアルゴリズムによって構築される芸術作品)の文脈にも近いのでは、と思います。クラシックを源流とする音楽とは異なる、テクノロジー軸の文脈の音楽が出てきている感覚は持っています。
熊倉:なるほど。鐘の音をスペクトル解析してその音をオーケストラで再現するという、黛敏郎さんの《涅槃交響曲》(*4)という曲を考えると、クラシックとその他の音楽というように完全に分断・分岐してしまうのではなく、あるところで交わる部分もある。ジャズの影響を受けたクラシックの曲とか、双方向になっていることもありそうです。よく音楽はジャンルで分けられるけれど、ジャンルの境目というのは難しいですね。
江﨑:僕は音楽を作る時にジャンルは意識していませんね。どこかしらジャズの要素もロックの要素もあって、でも、クラシックの要素もある。自分が辿ってきたものやその人の人間性が全て音楽に出てきてしまうから、ひとことで「ジャンルはこれ」と決めるのはかなり乱暴だなと思ったりします。
熊倉:クラシックは楽譜という基本となる“媒体”がありますが、演奏の歴史が育んだ習慣があって、楽譜だけに依らない部分もある。最初に演奏した人の弾き方がもとになっていることもあるし、いつの間にか伝統になっていたりすることもある。だから、意外と楽譜だけではないクラシックの見方があるのではないかと思いますね。
江﨑:面白いですね。人間を知って理解していくことという意味では、ジャンルを問わず同じなんだと改めて思いました。
中村:人間を知る、ということにすごく共感します。例えば室内楽のように小編成で演奏するときは、自然とメンバーの人間性を把握するようにしています。食べ物が好きな人はドルチェ(楽譜上では「柔らかく演奏する」という意味で用いられる)の表現が豊かだし、絵画が好きな人は演奏を色にたとえたりする。そういう意味でやはり人の観察をするのが当たり前になっているかもしれません。
自ずとかたちづくられた、“N響の音”とは?
江﨑:オーケストラをまとめるのはすごく難しいだろうなと思うのですが、そのために指揮者という存在はあるんでしょうか。
熊倉:指揮者はオーケストラの目の前に立つと、1人ひとりの個性やその日の気分も含めて楽員の様子が瞬時にわかることもあります。100人を前にしてそれぞれの顔を見ようとしている時もあるし、オーケストラという団体を1つの個として見ている時もあります。
江﨑:個の単位が時と場合によって変わる感じでしょうか。
熊倉:そうですね。さらに楽器のパートごとに見ている時もあります。例えば、10数名のヴァイオリン奏者を1つの単位とするように。弦楽器、管楽器という分け方もできるだろうし、その単位は曲や時間によって常に変わっていきます。指揮者は演奏家がいないと音楽ができないので、コミュニケーションが大事だと感じる瞬間が多いですね。
中村:熊倉さんは全国のいろいろなオーケストラのことを知っていると思うけれど、それぞれ「ノリ」というのは全然違うものですか?
熊倉:本当に異なりますね。演奏だけじゃなくて言葉を使ってコミュニケーションを取った時の反応も全然違うし、持っている雰囲気も違う。コミュニケーションって明確に「こうすればいい」と言えるものではないなと思います。
江﨑:反対に、演奏者から指揮者へコミュニケーションを取ることもあるんですか? それがN響の特徴にもなっているのかな、という気もしますが。
中村:N響のなかでもいろんな意見はありますが、どんな指揮者でもなるべくすぐ対応するようにしていますね。それに近年のN響は若いプレーヤーも増えてきて、いろいろな情報を取り入れることができていると思うんです。もちろん指揮者の考え方と自分と意見が違うなと感じることもあります。でも、弾きながら全体を見ての意見なんだと納得することもあります。そうやって感じられるようにいつも心は開いていたいですね。
江﨑:「自分たちは自分たちの音楽をやるんだ」という奏者同士の結束感というのもありますよね? ゲストの指揮者の方が来る時はどうしているんだろう、と。
中村:もちろん“N響の音”というのがあるのでそれは残しつつ、新しい要素を取り入れたいな、と思います。たまに他のオーケストラに客演として行くこともあるのですが、それぞれのオーケストラにはやはり色がありますね。それぞれ野球チームに個性があるのと似ているかな。
江﨑:なるほど。N響の音というのは、楽員として活動していると染み付いてくるものなんですか?
中村:例えば、N響は低音がすごく充実しているんです。入団した時に教わったのですが、特に弦楽器はコントラバスからピラミッド型に音を作っていて、チェロはコントラバスの上に乗って、ヴィオラはさらにその上に乗る、と。これはN響の弦楽器の音の特徴だと思います。
江﨑:それは言語化されていることなんですか? 会社で社訓が掲げられているみたいに、「低音から積んでいきましょう」と書かれていたり……。
中村:書いて貼っておいてほしいですね(笑)。もう1つ、N響の奏者は1人ひとりがアンテナを沢山張っているのがすごいと思う。指揮者を見る前提ではありますが、頭の中ではどこの音を聞きながら演奏するといいかと皆が考えていて。そうすると、たとえアンサンブルが少しズレてもすぐに修正することができるんですね。僕自身も、N響に入団して間もなくパーヴォ・ヤルヴィがN響の首席指揮者に就任して、アンサンブルを意識することによってよりアンテナが増えたという実感があります。
江﨑:指揮者はコーチのような役割もあるのでしょうか。指揮者によって楽員も成長する方向が変わっていくというか。
熊倉:僕が最初にN響に来た時は、プロオーケストラのリハーサルを見るのが人生で初めてに近いことだったので、すごい緊張感がありました。でもそこから少しずつ多少なりとも音が聞けるようになってきて。N響にはパーヴォ(・ヤルヴィ)さんはじめ、様々な指揮者が来るんですよね。そのたびに、いつものN響の音がするなという時もあるし、反対に違う感じがするという時もある。どうして違うのか完全に言語化はできないのですが、奥深いですね。
江﨑:バンドではPA(音響オペレーター)がメンバーの一員といえるくらい大事な存在で、PAによって出音が変わってきます。今の話を聞いて、PAはオーケストラの指揮者の役割にも少し似ているのかなと思いました。クラシックとポップスは、まったくジャンルが違う音楽だと思われがちですが、似ているところを発見したりすると、より音楽の楽しみ方が広がりそうですね。中村さん、熊倉さん、今日はありがとうございました。
注釈
*1 Finale・・・楽譜作成ソフトウェアの最高峰。1989年の登場以来進化を続け、現在国内外で出版されている楽譜の多くがFinaleを使って制作されている。
*2「砂の器」・・・1960年代に発表された松本清張の同名小説を中居正広主演でテレビドラマ化。2004年1月〜3月にTBSで放映され、音楽を千住明が担当した。
*3「ドラクエ」の音楽・・・1986年の発売以降爆発的な人気を誇るロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト」のBGMのこと。音楽を手がけたのは作曲家・すぎやまこういち(1931〜)。ドラクエシリーズのなかでも特に有名な『序曲:ロトのテーマ』は、東京2020オリンピック開会式で選手入場の際に使用され話題を呼んだ。
*4《涅槃交響曲》・・・戦後の日本の現代音楽界を代表する作曲家のひとり、黛敏郎(1929〜97)が1958年に発表。オーケストラと合唱による仏教思想に基づく世界観を表現した代表作の1つ。1950年代初頭より黛が手がけた電子音楽に着想を得て、スペクトル解析した梵鐘を打つ音をオーケストラで再現することが試みられている。
text / Shiho Nakamura photo / Koichi Tanoue