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#3 孤独だからこそ生まれた圧倒的祝祭感に包まれる。 |小西遼×ベートーヴェン

長くて難解なイメージを持たれがちなのが、クラシックの楽曲。現在のトレンド音楽のなかにもそのエッセンスは散りばめられていますが、いまいちどんなふうに楽しんだらいいのかわからないという人も多いのではないでしょうか? この連載「名曲の『ココ』を聴こう」では、クラシック音楽にも影響を受けながら、ポップミュージックシーンで活躍しているミュージシャンたちがクラシック曲の聴きどころをピックアップし、その面白さを解説します。
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第3回は、バンド<CRCK/LCKS>や表現集団<象眠舎>を主宰するサックスやシンセサイザーをはじめとするマルチプレイヤーの小西遼さんが、ベートーヴェンの《交響曲第8番 ヘ長調 作品93》について語ります。小西さんが感じる「ベートーヴェン」らしさ、他の作曲家にはないエモーショナルな感覚とは?

<解説する曲>
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン  / 《交響曲第8番 ヘ長調 作品93》
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
演奏:NHK交響楽団

1812年に作曲、1814年に《交響曲第7番》などとともに初演された、ベートーヴェンの8番目の交響曲。他の交響曲に比べ小規模であり、トータルで30分程度となっています。この時代、多くの作曲家が、高位の人物への売り込みや、パトロンである貴族に援助の御礼として、また友人や恋人など特定の個人に楽曲を献呈していましたが、《交響曲第8番 ヘ長調 作品93》はベートーヴェンの交響曲のうち、誰にも献呈されていない唯一の作品となっています。初演で《交響曲第7番》に人気が集まったことに対して「聴衆が《交響曲第8番》を理解できないのは、この曲があまりに優れているからだ」とベートーヴェン本人が話したとも言われています。

<教えてくれた人>

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ベートーヴェンは愛すべき「めんどくさいおっさん」。

《交響曲第8番》は、「ベートーヴェンらしい」というイメージ。堅苦しい技術の上に成り立っていることから、本人の気難しさも感じられるけど、聴いているとすごいめそめそしていたり、すごい感情の起伏があったり、意外とロマンチックなところが見え隠れしたり……。言ってることがすごく感情的で、でもなんか鋭くて、こっちが切なくなるような、飲み屋でめんどくさいタイプのおっさんという感じがします(笑)。そういう生々しい感情が見え隠れする人間くさい部分がしっかり音楽に乗っているところが「ベートーヴェン」らしさだと思います。クラシカルな硬さを持ちつつも、かなりエモーショナルな楽曲の構造やメロディラインを持っています。僕は物語性のある劇場型の交響曲がすごく好きなのですが、この交響曲も主題が形式的に繰り返されるのではなく、ちゃんと物語の流れに乗って登場し、ストーリーラインをちゃんと見せながら大団円を迎える構造になっている。そこに音楽に対するベートーヴェンの入れ込み方が感じられて、すごく好きです。

《交響曲第9番》や《交響曲第5番「運命」》《交響曲第3番「英雄」》は、主題に対してベートーヴェン本人の望む運命のあり方、英雄像、自分の人生など、感情面が押し出されていますが、《交響曲第8番》は、各楽章が長くて構造もしっかりしている他の交響曲に比べ、第一楽章から第四楽章までするするっと聴ける、でも、聴き流せる軽さじゃないんですよ。つまり、短いのではなく、テンポが速いというか。僕は交響曲を長編の純文学のようなものだと考えているのですが、これはライトノベル寄り。だから、ベートーヴェンに堅いイメージを持っている人も、「ベートーヴェンらしさ」を楽しむ入り口としてぴったりだと思います。


Point1:第一楽章4:22〜 / 6:37〜
とにかくメロディを追いかけて。『マトリックス』にも似た感覚を楽しむ。

※第一楽章をここから聴く。

「ここでーーす! どーーん!」という冒頭からの主題の提示のさせ方は圧迫感すらありますし、基本的に“マッチョ”な楽曲構造だと思います。打って変わって、4:22〜は縦横無尽に楽器を横断して演奏されながらも、物語がぶつ切りにならずにすごくきれいにグラデーションで展開されていく。冒頭で提示される簡単なメロディを追いかけていくだけで、気づくと全然違う場所連れて行かれてしまうんです。

6:37の跳躍も、個人的にもっと後期の印象派の人たちの作り方で、古典的なクラシックだったらもっと流麗でわかりやすく繋がるメロディにすると思うんです。でも、普通のメロディの中にそれとなくこういう現代的なフレーズが織り込まれていることに、ベートーヴェンの「絶対挑戦するんだ」という気概を感じます。全体を通して、映画『マトリックス』で、ネオが白いうさぎに着いていくとマトリックスの世界にたどり着くみたいな、そういう感覚がします。

Point2:第二楽章1:04〜
クラシカルな構造に身を委ね、物語の流れを堪能する。

※第二楽章をここから聴く。

第二楽章は、楽器の音色選びやメロディの提示の仕方が匠の技だなと感じます。1:04も先ほど言った飽きさせない工夫で、突然フォルテでユニゾン(*1)が鳴ったり、メロディの途中で弦のトレモロ(*2)が入ってきたり、「それいる?」みたいな部分ではあるのですが、これによってシーンの切り替わりやメロディが引き立つ構造なっているからおもしろい。すごく王道な書き方なのですが、奇を衒うことをせず、普通のオケの編成、ダイナミクスとメロディと和音の構成だけで、ちゃんと色めき立つはっとする瞬間を作っています。

僕としては、この冒頭はなんてことない風景をすごく美しく見せる、いわゆる舞台のセットアップのように聞こえるんです。たとえば草原で馬車に乗って、ゆっくりその景色が動いていくような情景描写を感じます。第一楽章はスピード感も緩急もはっきりありますが、第二楽章で落ち着いた風景が表現されることによって、起承転結の承の役割を果たしています。「さあ、この物語は一旦ここにきますよ。覚悟して聴いてください」という印象を、第二楽章で新たに一から作り上げていく感じが見事です。

Point3:第三楽章〜3:34
ワクワクを途切れさせない「未来への予感」に注目。

※第三楽章をここから聴く。

第三楽章は、3:34にかけて未来への予感を提示させ、さらりと主題へ戻り、第四楽章へと運ぶという、スマートながらクライマックスへのワクワク感が途切れない感じがすごく楽しいです。主題への戻り方を聴くと、「やっぱりベートーヴェンって気難しいおっさんだな」と思います。すごく酒を飲んでしゃべり終わったあとにひとりで満足してスッとなっているというか(笑)。引っ張って、引っ張って、そのままクライマックスになだれ込むのかなと思いきや、スッと落ち着く感じがあって、いい意味で聞き手の期待を裏切る。ドカンとはいかずに、ワクワクをひたすらキープさせられている感じがします。

この感じを聴いていると、最初に話した通り、やっぱりベートーヴェンって気分のアップダウンが激しい人だったと思うんです。絶望的な状態で頑張って音楽を書いていた部分が少なからずあったと思う。でも、失意の中ですら諦めない、最後までやり切ろうとし続けた人なんだろうなと。そして、昔の作曲家って圧倒的に孤独だったと思うんです。他者と隔絶して自分の世界の中だけで交響曲を作り上げなきゃいけないですし、しかもベートーヴェンの場合、この頃には耳がほとんど聞こえなくなっていたと言われていますし、心身ともに疲れている時だと思うんです。だからこそ、第三楽章のワクワク感は単純に楽しいということではなくて、「もしかしたらこれから開けていくかもしれない」という人間の希望が切実に感じられる。その物語の作り方に何度聴いても感動してしまいます。

Point4:第四楽章1:54〜デートの7分前から聴いてほしい。映画の主人公のような体験を。

※第四楽章をここから聴く。

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2018年4月25日サントリーホールで行われた第1884回定期公演Bプログラムでのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/ 《交響曲第8番 ヘ長調 作品93》演奏の様子。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。

マーラーやワーグナーは主観というよりも演出家的な脳みそを使って音楽を書いていると感じるのですが、ベートーヴェンの目線はすごく主人公的で、物語の渦中にいる人が抱く感情を表現しています。その真髄を感じられるのが、このポイント。第三楽章まではすごく技術的なことを考えながら聴けるのですが、第四楽章の1:54を過ぎたくらいから技術を超えて感情が乗ってきます。たとえば、すごく良い理解者がいたり、共作できる仲間がいたり、誰かと話していると解消されてしまうストレスってあると思うんですよ。でもベートーヴェンの感情的な部分を聴いていると、そういうものを寄せ付けない、「自分のことは自分でしかわからないものだ」という、作家ならではの創作の孤独感が感じられます。

第一楽章のオープニングの音もですが、第四楽章で提示される力強さも、すごく孤独だったからこそ書けたんだと思います。その感情がさらなる緩急になりつつ、各楽章で提示された登場人物=主題をもう一回登場させて、「広げた大風呂敷をちゃんとたたんでいきますよ」という感じで交響曲を派手に締めくくる。技術的手腕と力強さ、古典に裏打ちされた革新的な終幕感はさすがですし、高揚と気品の入り交ざる、それでいて情熱的なところに、博学・勉強努力だけではどうにもならない迫力が詰まっていて本当に魅力的です。

第四楽章は7分あるので、「今日告白するんだ!」っていうデートの7分前から聴き始めたらいいと思います(笑)。基本的に交響曲の四楽章は高揚感に溢れたものが多いですが、ここまでわかりやすく祝祭的で「上がるなー!」という感じはベートーヴェンが段違いです。「あの人に会いに行く」という瞬間にジャスティン・ビーバーもいいですが、この第四楽章を聴くとそれだけで勇気がもらえて、自分が映画の登場人物になれる感じがするんです。

非日常的な高揚感を。まずは季節ごとの演目をカジュアルに楽しんで。

僕はもともとクラシックから入ってジャズミュージシャンになって、今はポップスのフィールドにいますが、ひとつの考え方として、クラシックもジャズも現代のポップミュージックもすべてその時代のポップスです。その時代の作曲家たちがすごく工夫を凝らして革新的なことをしようと思って生まれた音楽たちだと考えてクラシックを聴くと、今までとっつきにくいと感じていた人も新たな感覚で楽しめるのではないでしょうか。

そのなかでも、やはりホールでの“鳴り”こそがクラシックの醍醐味。とはいえ、クラシックのコンサートを聴きにホールに行くってすごく非日常的ですよね。だから、たとえば、日本だと《交響曲第9番》が年末のものというイメージになっているように、クリスマスツリーを見るような感覚で、季節ごとの演目をお祭り的に聴きにいくのもいいんじゃないかと思います。「今日はクラシック聴き行こうぜ、そのあとはおいしいお酒飲みにいこうよ」っていうカジュアルな楽しみ方もOKですし、非日常的な瞬間を日常のルーティンにおもしろいかたちで組み込めたらすごく楽しいと思います。

注釈
*1 ユニゾン・・・複数の楽器によってひとつの旋律を奏でること。
*2 トレモロ・・・単一の高さの音、もしくは複数の高さの音を交互に、小刻みに演奏する技法。

text / Aiko Iijima photo(Beethoven) / Everett Collection アフロ

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