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#3 聖セシリアの祝福 ブリテン—英国的幸福と名誉に満ちた生涯 | 小石原耕作

聴くだけではなく、楽曲が生まれた背景や楽曲にまつわる歴史や文化を知ることもクラシック音楽の楽しみ方のひとつ。「カレイドスコープ」では、定期公演で演奏される楽曲を、誕生秘話や作曲家のエピソード、モチーフになった風習などを切り口に、さまざまな視点で紐解いていきます。第3回は、イギリスの文化的背景や英国ブランドに詳しい小石原耕作さんが、ブリテンに見るイギリス人気質を紹介します。

守護聖人

銀のスプーンを咥えたり、ロールスロイスのキーを咥えて生まれてくる赤ちゃんたちの多い英国ではあるが、一生涯に係わる天職の成功を神に祝福されながらこの世に生を受けるというのも得難い幸運ではなかろうか。

エドワード・ベンジャミン・ブリテン(Edward Benjamin Britten)は1913年の11月22日、すなわち音楽家の守護聖人である聖セシリアの日に英国東南部サフォーク州ローストフトの、北海を臨む海岸のタウンハウスで生まれた。顔と四肢が真っ黒な、いかにも英国的な羊サフォーク種の原産地としても有名な起伏の少ない風光明媚なカントリーサイドである。
守護聖人との特別な関係を除いては、典型的な中流階級の英国人として生きたブリテンを、英国人というキーワードで探ってみた。

英国人の幸せ

今年生誕109年を迎えるブリテンの生涯は、英国人がかつての伝統的な英国式ライフスタイルをかろうじて保っていた最後の世代であったといえる。
恵まれた環境で早くから頭角を現し、1930年には、現在では日本人も多く暮らすロンドンの北の高級住宅街セントジョンズウッドに住んで、王立音楽大学に通い、1939年からの3年間を北米で過ごしたブリテンは戦後、生まれ故郷のサフォークに戻り、海辺の町オールドバラを終の棲家として34年間を過ごす。世の評価にも繊細であった彼は、中央の音楽界のメインストリームから距離を置くようにこの地に篭る。
この地でのブリテンの生活こそ、多くの英国人が夢に見る理想に近いものであったろう。すなわち、己の基本、依って来たるを重んじ、周囲の人々とのつながりを大切に日々を生きること。ここでのブリテンは後世に残すべき大作等を成すことより、彼の周辺の人々のために曲を書き、提供することに喜びを覚えた。
 「ここオールドバラで、私はこの地に住む人、さらに言えばそれを奏で、聞く人たちのために曲を書く。私が暮らし、そして作曲するこの地こそ私の曲の故郷だ」(1964年)。

また、ゆっくりと長時間の散歩を楽しむこと、愛車アルヴィスを高速でドライブすること、そして夏の自宅での水泳を日課として欠かさないことを厳格に守った。 
どの曜日に何をして、何を食すかなど、日常の決めごとを正しく守るのも典型的な英国人の特質である。

ブリテンの愛車と同種と思われるアルヴィス

アルヴィスは1919年から1967年まで英国中部コヴェントリーに存在した自動車メーカーで、ライレーと並び非常に英国的なクルマを作るメーカーとして知られていた。ブリテンはかつて、中古で購入した1938年型のミディアムブルーのロールスロイス レイスのオープンカーも所有していたが、オールドバラでの飾らない生活での友が、ベントレーでもジャガーでもなく、アルヴィスというところが、実になんとも英国的である。因みに言うなら、ロールスロイスやベントレーは、必ずしも100%英国的とは言いきれない。世界を相手に商売を始めると、純粋に英国的ではいられなくなるものなのだ。

「高速で」と言うのがまた、運転をスポーツと認識していた英国人らしくて良いではないか。
英国の民族系自動車メーカーが輸入車に圧されて衰退し、パトカーなどの公用車までが輸入車になる前までは、英国メーカーだけでクルマの階級ができあがっていた。つまり、選んだ車とその扱いでクラスが知れる、というわけである。この階級ラダーには、格、といったものが介在し、新車の価格のみで決まるものではなかったから、価格以外の要素がない輸入車が増えるにしたがい、成立しなくなってしまった。アルヴィス、ジャンセン、ブリストルといった大型の純英国式スポーツサルーンは、ロールスロイス、ベントレー、アストンマーティンに次ぐアッパーミドルのクルマで、生まれた時に鍵を持っていなかった場合としては最高のクラスである。

英国人が散歩となれば、欠かせないのは犬である。ブリテンの愛犬は、数頭のスムースヘアードダックスフントであった。ドイツ原産ではあるが、ラブラドールでないところが、繊細な音楽家の彼には似つかわしく思える。 

愛犬を抱くブリテン

名誉の構造

ブリテンは、その音楽に対する業績により、1953年に勲位者章(CH)、1965年にメリット勲章(OM)を受勲、さらには他界の半年前のクイーンズ・バースデイの叙爵により、オールドバラの「バロン・ブリテン (Baron Britten of Aldeburgh) 」となる。 
裕福な歯科医の家庭に生まれ、恵まれた環境で業績を積み上げたブリテンではあったが、これら国や王室からの、細部までを評価した“Visible Honour (目に見える名誉)”には、誇りを感じていたことだろう。

こうしたシステムはヨーロッパでは一般的だが、これらの名誉に対して英国社会は格別の尊敬を払う。このため、褒章を常に効果的に行うよう、システムは常時更新されている。多分に政治的な背景もあり、政権によって叙勲が見送られることもあって、たとえば1964年から1983年の労働党政権下では世襲貴族はまったく新設されなかった。

ブリテンが得た爵位、男爵(Baron)は、本来は世襲爵位の下位ランクであるが、20世紀になってから子孫に継承できない一代限りの爵位としても叙爵されるようになった。一代爵位としては, バロンよりさらに下位の「ナイト」の称号が有名で、音楽業界では、ビートルズやミック・ジャガーなど、ほとんどわが国の国民栄誉賞のごとく、各界の著名人が叙爵されている。ナイトは一代爵位なので敬称である「サー」は苗字ではなく名前に用い、つまり「サー・マッカートニー」ではなく、「サー・ポール」となるのだが、バロンの場合は一代爵位ながら、「バロン・ブリテン・オブ・オールドバラ」であり、呼称は「ロード・ブリテン」となる。

ブリテンはオールドバラに隠棲し、住民と交流するばかりでなく、音楽フェスティヴァルを創設するなど地元に多大な貢献をしたが、生誕100年の2016年には彼を偲ぶ記念行事はオールドバラのみならず世界中で140を数え、英国では国を代表する音楽家として記念の切手やコインが発行されていることを、本人はどう感じているのだろうか。
現在は盟友ピーター・ピアーズらとともに、オールドバラのパリッシュ・チャーチの庭に安らかに眠るブリテンの生涯に、聖セシリアの、守備範囲を超えた守護を感じないわけにはいかない。

ブリテンが眠るオールドバラのパリッシュ・チャーチ

オススメ・コンサート
■第1961回 定期公演 Bプログラム
サントリーホール
指揮:鈴木優人
ヴァイオリン:郷古 廉
バッハ(鈴木優人編) / パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582
ブリテン / ヴァイオリン協奏曲 作品15
モーツァルト / 交響曲 第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」

2022年6月22日(水)開演7:00pm https://www.nhkso.or.jp/concert/20220622.html

2022年6月23日(木)開演7:00pm https://www.nhkso.or.jp/concert/20220623.html

text:Kosaku Koishihara
(本記事はN響ホームページに掲載されていた「カレイドスコープ」第14回からの転載です。)

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