#3 管楽器と弦楽器は、同志だ。
チェロもホルンも、つまるところは体力勝負。
勝俣泰(以下、勝俣):僕ら、普段はあまり接点はありませんね。だから今日は楽しみにしてきたんです。
藤村俊介(以下、藤村):弦楽器と金管楽器は、練習でも演奏中でも位置が離れていますから。
──楽器の違いについて伺いたいのですが、普段の手入れの仕方や、演奏するまでのウォーミングアップなどもかなり異なるんでしょうか。
藤村:弦楽器はナーバスですね。湿気があると、段ボールで作った楽器のように鈍い響きになることもあるんです。でも僕の楽器は、300年ほど前にヴェニスで作られたもので比較的湿気には強くて、乾燥しすぎる冬は調子が悪くなることもあるんです。とはいえ、やはり古いものなのでニカワであちこち補修してあり、そこが剥がれてしまうと大変なので、クーラーと除湿機は必須です。
勝俣:その点、金管楽器は、雨が降る競馬場でファンファーレを吹くこともあるので、水や湿気はそこまで致命的にはなりませんね。グリース(抜き差し管に塗る潤滑油)がどこかで詰まったり、レバーを押すと、ロータリーバルブ(管長を変えるためにレバーを押して操作する丸形の栓)が90度回るんですが、両者をつなぐ紐が緩んだり伸びてきたりするとタイミングがずれるので、それは定期的にチェックしないといけません。稀に演奏中にレバーが壊れることがあるんですが、指使いの組み合わせ次第でどうにか切り抜けられることがあるんですよ。
藤村:1つの音を出すのに、いくつか手段があるんですね。僕が今、使っている弓も、2カ所折れたことがあります。さっきも湿度の話をしましたが、湿度によって、指板に対して押さえる弦の高さが1cmのときがあったり、乾燥しているとその半分くらいになったりして幅があるんです。この楽器にはもう20年付き合ってきているので、どんなに機嫌が悪くても対応できるようになりました。長い結婚生活のようです(笑)。
勝俣:僕はその楽器の機嫌が悪いときは、しばらく近寄らないタイプかもしれません(笑)。
──日頃の練習量や、体力づくりにはどんな違いがありますか。
勝俣:学生の頃は、口が切れても吹こう、痛みを感じた部分だけ強くなる、という間違った認識がありました。管楽器は口の周りなど、様々な顔の筋肉を使うんです。ですから演奏前にはそこをほぐすことから始めます。ホルンは、早い時間から入ってウォーミングアップする人が多いですね。個人的には、演奏が終わってもきちんとクールダウンしないと、翌日以降まで疲労感が続いてしまうことがあります。
藤村:弦楽器の指鳴らしの時間は個人差があり、まちまちです。楽器自体は車のエンジンのように、弾いて馴染ませておかないと良く鳴らないので、入念にウォーミングアップしています。でも、外国の方にはあまりウォーミングアップをしないで弾けてしまう方もいるので、演奏者によってさまざまです。体力作りは、演奏が立て込むと練習時間が増えて、手、腰、背中を酷使してしまうので、自分のコンディションと相談しながらです。しかし一番の問題は「目」ですね。
勝俣:金管からすると、弦楽器の譜読みの量は天文学的数字のように多いですよね。
藤村:年齢とともに視力が衰えてくるので、暗譜するぐらい練習する必要があるんです。演奏家も体力勝負なので、やはり運動は必要ですよね。最近、サップボードを始めたんです。ボードの上に乗っているだけでも体幹が鍛えられるし、漕ぐのも腕を鍛えられるんじゃないかと。今、海辺の街に住んでいるので、憧れのウェットスーツで海に通っています。
勝俣:でも、どの楽器かに関わらず、体力作りは必要ですね。非公式なんですが、僕はどうやらN響筋トレ部の部長らしいのです。コロナ禍でそれぞれ自宅でトレーニングしているので、部員数がどれだけなのか把握してないのですが(笑)。できるだけ長く演奏家でいるために、身体のケアと食事は重要だと実感しています。食べるものが体をつくりますしね。この2、3年でだいぶ意識が変わりました。
藤村:野球の野村克也監督の名言録に「限界が見えてからが勝負」という言葉があるんです。僕も50も後半になり体力は落ちてきましたけれど、いよいよ自分の真価が問われるときだと思ってがんばっています。50代にがんばれば、60代にいいことが起こると期待して。
まるで赤外線センサーのような、
演奏中の視線のやりとり。
藤村:勝俣さんと僕は、それぞれの楽器で、ともに次席・2番奏者という立場ですが、いかがですか。
勝俣:演奏上のタイミングとして、首席奏者より前に出ようとしたり、遅く入ってくるのは良くないと思います。音楽的には、柔軟でありつつも、さりげなく自分の意見を述べるようなバランスをとれたらと心掛けています。
藤村:徳川家康には本多正信がいたように、優秀なNo.2がいる組織はうまく行くと本に書かれていたので、僕もそんなふうになれたらなと頑張ってきましたが、なかなかバランスをとるのが難しい立場でもあります。
勝俣:「オーケストラの技量はセカンドで決まる」と言われることもありますしね。演奏会を成立させるには、裏方のスタッフさんなどたくさんの支えが必要ですが、それはステージ上でも同じことです。N響はスター揃いですが、裏から支える場面もあって1つの交響楽が成り立つ、と勝手に自負しています。
──オーケストラの配置では、チェロとホルンは離れた場所にありますが、演奏中はお互いの音をどれだけ意識しているのでしょうか。
藤村:チェロから見ると、ホルンが刻むリズムに合わせてメロディを弾くことがよくあります。音域が同じくらいなので、相互関係があるかもしれませんね。
勝俣:チェロを意識しながら演奏するといえば、すぐに思い浮かぶのはリヒャルト・シュトラウスの《英雄の生涯》ですね。冒頭のところで同じメロディを吹くので、チェロとは同志という感じがします。せーのでどーんといきますから。
藤村:総攻撃を仕掛ける感覚がありますね。シュトラウスは、よくホルンとチェロを重ねます。
勝俣:ブルックナーもそうですね。チェロが朗々と歌っている中に、ホルンも音を重ねていくのは幸せを感じる瞬間です。自分たちのパートを研ぎ澄ませていくことはもちろんですが、他の楽器の音を感じて、全体像を意識して音作りをしていくことはオーケストラにとって大切なことですよね。
藤村:そうですね。音を出すタイミングは、指揮者とコンサートマスターが作っていくのですが、全体の音は意識して聴いています。ホルンとチェロは位置が少し離れているので、ほんの少し音が遅れて聴こえる時差を意識しながらタイミングを合わせています。
勝俣:ほとんどの楽器は前に向かって音を出すのですが、僕らの楽器だけは後ろに向かって音が出るので、後ろからぐるっと音が回ってくるんです。だから遅れることを見越して、ほんの少し早めのタイミングで吹いているんですよ。残念ながら、それでも遅れて聴こえることが多いですが。正面の客席からではなく、ホルンの真後ろで演奏を聴いてみると、タイミングがとてもずれて聴こえるかもしれません。
藤村:タイミングという話では、オーケストラ全体が不安定になったり迷ったりした時に、ホルンが踏ん張ってくれるときがありますよね。とてもたよりになります。
勝俣:各楽器のプレイヤーが色々と考えながら演奏しているわけですよね。お客様には、舞台上で行われている奏者間の目線のやりとりも見ていただけると面白いかもしれませんね。プレイヤーが見ているのは楽譜と指揮者だけではなくて、コンサートマスターや他のプレイヤーにも視線を投げかけています。見えない赤外線センサーが、まるでいくつも張り巡らされているかのように、オーケストラの演奏中に様々なベクトルが飛び交っているのを想像しながら聴いていただけたらと思います。
photo / Akari Nishi text / Miho Matsuda