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「5回目のN響は、仕事の美学を感じられた」|辻愛沙子さん(クリエイティブ・ディレクター)

生のクラシックコンサートの醍醐味は、何回訪れても、常に新しい感動や発見が得られること。例えば、はじめて訪れた時にはただひたすら音に身を委ね、2度目のコンサートでは奏者の表情に注目し……。回を重ねれば、お馴染みの楽員を目で追うようになることもあるかもしれません。この連載企画「〇回目のN響」では、はじめての方にもそうでない方にもN響のコンサートを鑑賞してもらい、会場でどんな体験ができたのか、その日の演奏からどんなことに思いを巡らせたのか、話を聞いてみます。

第2回に登場するのは、クリエイティブ・ディレクターの辻愛沙子さん。「母がクラシック好きなので、N響の公演は4、5回目になるはず」という辻さんが去る2月に訪れたのは、東京芸術劇場のコンサートホールです。ストライヴィンスキー《組曲「プルチネッラ」》と《バレエ音楽「ペトルーシカ」(1947年版)》が演奏された池袋Cプログラムを鑑賞し、長年に渡って鍛錬したプロフェッショナルの素晴らしさを感じたといいます。

人の熱量を体感する。

私の母はクラシックが好きなので、幼い頃から両親に連れられてコンサートに行っていました。ひとり暮らしの今も、ちょっと特別な家族のイベントとしてコンサートに行くことがあります。つい先日も、父と平日に待ち合わせてクラシックのコンサートに行ってきたばかり。N響はクラシック音楽だけでなく、《交響組曲「ドラゴンクエスト」》シリーズのCDを出していることもあって、格式がありながらも親しみを感じるオーケストラという印象があります。

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2022年2月に行われた池袋Cプログラム公演終演後に撮影。普段辻さんが鑑賞する席は、ホールの音が集中する2階席を選ぶことが多いという。

ピアノやバレエを習っていたこともありましたが、それほどクラシックに詳しいわけではありません。クラシック音楽の面白さを知ったきっかけは、マンガ『のだめカンタービレ』(笑)。今回のストラヴィンスキー《プルチネッラ》と《ペトルーシカ》も初めて聴くものですが、プログラムの前半と後半では、雰囲気がまったく違っていて。開演前に配布されたプログラムノートに、「オーケストラを『見て』面白いことも《ペトルーシカ》の特徴である」とあったように、こんなに個性的なクラシックもあるんだと驚きました。

プログラムノートによると《ペトルーシカ》では「ピアノを容赦なく打楽器的に使う」「弦楽器がベースを作り、管楽器が色を添えるのではない。管楽器がベースを作り、そこに弦楽器が合いの手を入れる」とあり、開演前はこれはどういうことなのか不思議に思っていました。実際に演奏が始まると、まさにその通り。多彩な楽器がダイナミックな演奏法で奏られ、鳥のさえずりを楽器で表現するなど遊び心がたくさん詰まっていました。曲中の展開も多彩で、これはペトルーシカが求愛する場面なのかなと想像するのも楽しくて。ヴァイオリンとヴィオラとピアノがシンクロする場面では、異なる楽器同士がまるで一つの楽器から奏でているかのように音も動きもぴったりと寄り添いあっていて、こんなに寸分違わず息を合わせて演奏することできるのか! と驚きもありました。指揮者と演奏者との視線の交わり、演奏者同士の息遣い、熱量を感じられるのはコンサートならではですね。

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実は最近、小さいハープを購入して、自宅で『ファイナルファンタジー』の曲を練習しているんです。今回の《ペトルーシカ》にはハープが登場したので、プロが弾くと、チューニングの段階でも舞台から客席までこんなにもクリアに音が響くものなんだと感銘を受けました。親しみのある楽器が登場するのも嬉しいものですね。

休憩がなく1時間で終わる池袋Cプログラムは初めての体験でしたが、とても新鮮でした。料理に例えると、これまで家族で訪れていたコンサートはフルコースのディナー。一方で、池袋Cプログラムは仕事帰りに友人と気楽に立ち寄れる、カジュアルだけどとっておきのビストロのような感覚です。

ただ座っているだけでいい、癒しの時間。

私は大学在学中に仕事を始めて、6年間ずっと走り続けてきました。仕事が楽しくて、元旦以外は仕事ばかりの生活を送ってきましたが、自分の会社を設立したことで仕事中心の考え方に少し変化が生まれています。

クリエイティブの仕事は「余白」の時間がとても大切です。ですから、会社のメンバーにはきちんと休暇を取って、インプットの時間を作ってほしい。ですから、まずは私が率先して休まなければ、と会社員時代から考えがシフトしてきたように思います。

休みの日には、できるだけこれまで体験したことがないアクティビティに出掛けるようにしています。陶芸やタフティング、金継ぎ、座禅に行ってみたり、時には、クラシックに馴染みのない友人を誘ってコンサートに行くことも。

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終演後の静まったホールを見るのは、はじめて。「クラシック好きのお母さんに自慢しちゃおう」と話す辻さん。

私たちの仕事は、クライアントやチーム、ひいては社会にとって何が最善なのかを考え抜き、何度も話し合いながら最高のものを作り上げること。オーケストラは、何十年もの長い時間をかけて磨いてきた圧倒的な技術を持つプロの演奏集団です。指揮者や楽譜と対話を重ね、その日コンサートに足を運ぶ人にとって最高の演奏を生み出す点において通じるものがあると感じています。だからこそ、オーケストラの素晴らしい演奏に耳を委ねることが癒しになるのかもしれません。

「仕事論」で見るオーケストラ。

幼い頃は、「ティンパニがすごい!」「楽器はきれいだな」「咳払いをするなら演奏の合間のタイミングなんだ」といったことを考えていたのですが、今はまた違う視点で演奏を眺めています。例えば、演奏者がその楽器を選んだ理由、オーケストラで演奏しようと決めた分岐点は?  N響の一員になるのはとても狭き門だから、どれほどの努力をしてこの舞台に立っているのだろう。そんな「演奏者のバックグラウンド」に想像を馳せていると、音の響きがまったく違うものに感じられるんです。

オーケストラを「仕事の場」として捉えると、そこは一流のプロフェッショナルが集まる場所です。美しい音楽、卓越した演奏、それ以上に、ひとりひとりが人生をかけて向き合ってきたものが集まり発散される、その一瞬に立ち会えることは、貴重なことのように思います。オーケストラには血の滲む努力を積み重ねた人が何十人も集まっています。美しい音色や卓越した技術だけでなく、それを仕事とする人の凄みのようなものを感じますし、最後に指揮者と演奏者たちがお互いを讃えあう場面も、プロフェッショナル同士の仕事の美学を感じました。

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今日のコンサートに来る道中、「来週までにこの企画書を作らなきゃ」「最近はちょっと頑張りが足りていないかもしれない」なんてあれこれ考えていました。ですが、一つのことに向き合い続けてきた人たちの演奏に触れて、「まだまだ頑張れそうだ」と思うことができました。クラシックのコンサートには、普段よりおめかしをしたり、少し大人になったような気分を味わったりという非日常の楽しみもありますが、プロフェッショナルたちの「仕事論」として見てみるのもおすすめです。仕事のモチベーションが下がっていたり、キャリアの方向性を迷ったりしている方は、パワーをもらえるかもしれません。

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text /  Miho Matsuda photo / Koichi Tanoue 取材協力 / 東京芸術劇場

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