#3 ドラムとパーカッションが共鳴。溶け合うビートを奏でるために。
※このコンテンツは音声でもお楽しみいただけます。
プラスチックの縄跳びや水槽まで使うパーカッションの幅広さ。
伊吹:初めてN響の練習場に来たのですが、僕が普通に生活していては到底足を踏み入れられない場所なので、いつものライブやコンサートより緊張しています(笑)。
竹島:そうですか?(笑) 今日はよろしくお願いします。早速ですが、多くのオーケストラで、ティンパニ担当とそれ以外のパーカッション担当に分けられていて、僕は後者として、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、タンバリン、木琴、鉄琴……もう、ティンパニ以外の全てをやっています。
伊吹:クラシックの打楽器って色々な種類があると思いますが、今まで演奏した中で特に変わった楽器ってありますか?
竹島:これがいくらでもあって。すごく効果的だなと思ったのは、小学生が使うようなプラスチックの縄跳び。あれを頭の上で振ってブーンッという音を出しました。縄跳び選びから始まって、左右どちらから回すのか、どの速度で回すのか……そういうことを考えながら音を見つけていったことがあります。最近多いのは、水槽に水を溜めて、手を濡らしてそこにポチャポチャと水を垂らすとか。どれくらいの雫の感じなのかなどを考えてやっています。
伊吹:面白い! そんな飛び道具的なものがあるんですね。
竹島:他の楽器セクションで対応しにくいものがパーカッションに回ってくるんですよ(笑)。そういうのは現代の作曲家が多いのですが、現代音楽ってやっぱり可能性を探していく音楽ですし、せっかく同時代を生きている人間同士だから「ええ!?」と思いながらもチャレンジしています。
打楽器の面白さは、教科書からいかに外れていくか。
伊吹:僕は中学・高校の頃に吹奏楽をやっていたので、オーケストラで使用するようなパーカッションにも触れたことがあるのですが、今はドラムだけを叩いていて。僕らのようなドラマーとクラシックの打楽器奏者って音の長さ=「音価」(*1)に対しての意識が違う印象があるんです。パーカッションは音を止めるタイミングまで楽譜上で決まっているものがある印象を受けますし、ティンパニも音程のある楽器なので、弦楽器や管楽器と音が混ざってしまわないように止めるなど、音価の意識がクラシックのほうがあるのかなと感じています。ドラムはハイハットやクラッシュシンバルを止めることくらいでしか音の長さの表現をせず、一発叩いたら終わり、みたいな人も多い気がしていて。
竹島:特に近代・現代では、音符の単位で音の長さを明確に表現する作曲家が増えてきました。ただ、古典のクラシックは比較的奏者や指揮者任せみたいなところがある。びっくりした時に思わず「わっ!」って声が出ちゃうような、自然と気持ちを発する感覚ってジャンルを問わずあると思うんですけど、僕も自分が喋ったり、仲間の肩をとんとんと叩いたり、そういうことと何ら変わらずに演奏したい。単純にいい音のする楽器でいい音を出すのではなく、観客にキラッという感じを受け取ってもらえるならどんな楽器を使っても、どんな演奏をしてもいいんじゃないかと思います。教科書的なことは楽器を扱うための最低限の約束事。そこからいかに外れていくかが音楽の面白さですよね。
伊吹:そうですね。僕ももちろん気持ちを表現することは考えているのですが、竹島さんのお話を聞いてもっと意識したいと思いました。ドラマーも本当に色々なスタイルの人がいて、その中でも感情が湧き出るような、心動かされるようなプレイをする人って本当に限られるんですよね。
竹島:同じドラマーとして、テクニック的なところにもちろん目が行くと思うのですが、どういう目線で見ているんですか?
伊吹:その音楽のために演奏してるっていうのがわかるドラマーがいちばんグッときますね。ドラムが目立っているプレイでかっこいい人ももちろんたくさんいるんですけど、やっぱり「その音楽、世界観に必要なドラムの音を出す人」が好きです。
竹島:僕も伊吹さんと同じで、自分が演奏する時も、誰かのため、音楽のために音を出している感覚があります。たとえば《ボレロ》っていう曲は、同じメロディが繰り返されるなかで、小太鼓が最初から最後まで同じリズムを叩いて盛り上がっていくのでソリスト扱いされがちなんですよ。でも、僕はみんなを盛り立てていく伴奏だと思って演奏する。他にも多くの曲で、盛り上がりのピークでシンバルを決める時も、「ここシンバルですよ!」って叩くのではなくて、みんなの盛り上がりを後押しする。同じ四分音符だったとしても、金管楽器の和音と見合う音、コントラバスのピチカートに見合う音、みんなの音との接着面がたくさんある音を出して、混ぜていくことを心がけています。
《カルメン》のタンバリンからイメージする情景。
竹島:今日はいくつか楽器を持ってきたので紹介します。まずはタンバリン。ビゼー作曲の《カルメン》の中の《ハバネラ》は、音色やテンポ感、ビート感がわかりやすい楽曲です。ただ、僕が演奏しているのと譜面を見るのとではだいぶ違って聞こえるんじゃないかなと思います。ここで大事なのはやっぱりその時代の踊りの雰囲気を出したりすること。楽譜にはないけれど、フレーズの中にうねりをつけるとかね。タンバリンもパンパンッと叩くと楽しい感じですが、この場合はしっとり叩く。
伊吹:これも音価の話に繋がりますね。タンバリンでも音の長さを表現している。竹島さん、すごく繊細に叩いてらっしゃいますね。
竹島:妖艶な雰囲気を出そうと、かなり柔らかめに触っています。ただ、仲間の肩を力強く叩くようなシーンもあります。同じく《カルメン》から《アラゴネーズ》も楽譜と実際の演奏とでは違う印象。オーケストラでは冒頭、「ズァン」と起き上がるような演奏になっているのですが、そこでタンバリンを「パコン!」と打っても調和しない。だから僕もその「ズァン」っていう感じにいかに色を加えられるかというところを考えています。昔の踊りの雰囲気や踊っている人がどんなドレスを着ていたかとか、そういったことを自分なりに解釈して演奏しているんですよ。
トライアングルが表現する《モルダウ》の水の飛沫。
竹島:次はトライアングル。スメタナ作曲の《我が祖国》から《モルダウ》。弦楽器がうごめく中、水の飛沫や雫を表現するためにトライアングルを鳴らしていきます。楽譜だと8分音符でスタッカートまでついているのですが、このスタッカートの解釈がちょっと難しい。一般的にはスタッカートって「音を鋭く」みたいな意味ですが、この曲ではこの曲では音を短く切るような演奏はしない。昔からの演奏データを学びながら、「こういう感じなのかな?」「ここはこうかな?」と考えて、かわいらしい感じ、悲しげな感じ、と音を作っていくんです。
伊吹:すごい、同じトライアングルなのに全然音が違う!
竹島:そして最後にスネアドラム。オーケストラで演奏する曲の中でもスネアドラムがいちばん活躍するのが、先ほども出てきたラヴェル作曲の《ボレロ》です。すごく小さな音量のスネアドラムから始まるので、演奏者としては曲が始まる瞬間は震えます(笑)。その緊張感の中、優しいタッチで演奏しながらも、ただ音を殺すのではなくてメロディから感じる踊りのグルーヴも出していく。そして、最終的にはとても迫力のある音になっていきます。
伊吹:最後のいちばん大きなグルーヴを、すでに冒頭から表現していくんですね。先ほど音価の話がありましたが、これも譜面に指示はないんですか?
竹島:ないんですよ。でも、メトロノーマチックなリズムが流れていると、安全かもしれないけど興奮しないですよね。僕も曲の冒頭、中盤、終盤で、それぞれの盛り上がりによって生じる高揚感を出すために、手順を変えたりもします。トータルで17、8分、ずっと同じリズムなんですけどね。しかも、オーケストラは演奏する場所によって他の楽器の音が聞こえてくる時差もある。そういうことも気にしながら、ブレちゃいけないし、突っ走ってもいけないっていう。やっぱり他の楽器の音と接着しながら作るのが楽しいなと感じます。
伊吹:もはやミニマルミュージックですよね。ポピュラーミュージックでもメトロノームを使わないでレコーディングしているような音楽が僕すごく好きで。60〜70年代のソウルミュージックとか、ビートルズもザ・ローリング・ストーンズも、よく聴くとベースとドラムがズレているんだけど、なんでこんなにかっこいんだろうっていう音楽になっている。日々いろんなバンドで演奏していると、アンサンブルの違いやボーカリストが加わった時の違いもすごく面白いですし、勉強すべきことがたくさんあると感じます。
竹島:そこがやっぱり生身の人間が演奏している音楽の面白さです。「そこに人がいる」ということが、CDで聴いたり、テレビで観たりする音楽とは一味も二味も違う。クラシックのコンサートって「途中で眠くなっちゃったらどうしよう」って思われる方もいると思うのですが、僕はウトウトしている方がいると、心地よくてそうなっているわけだから逆にいいなと思う。「クラシック音楽=学問」みたいになりがちですが、映画で使われているクラシック音楽だったり、初めて聴いても耳馴染みのいいクラシック楽曲っていっぱいあるんです。だから、「今日コンサートやってるから聴いていこうかな」という感じで楽しんでもらえたらと思っています。
text / Aiko Iijima photo / Akari Nishi