#9 A=Artist 楽員たるもの、日々アーティストの意識を持つべし。
楽員と指揮者との間を繋ぐ、コミュニケーションの橋渡し役。
インスペクターは、弦楽器奏者から1名、管楽器奏者から1名が「楽員インスペクター」として選出されます。また事務局員が務める「チーフ・インスペクター」がおり、この3名が協力してリハーサルの現場をスムーズに動かすために楽員のスケジュールを調整したり、メンバーと指揮者のコミュニケーションの「橋渡し」をしたりするなどの業務を行います。僕は、10数年間インスペクターを勤めた前任者からこの仕事を引き継ぎ、かれこれ8年くらい続けています。なぜ、自分が選ばれたのかはよく分からないのですが、ある日、ポンポンと肩を叩かれそれ以来担当していますね(笑)。
楽員が100人以上所属するオーケストラとなると、本番に向けての「準備の仕方」も100通りあると言っても過言ではありません。2ヶ月くらい先に演奏する予定の曲を、リハーサルの空き時間に練習される人もいれば、実際のリハーサルが始まる本番の近いプログラムを集中して練習する方もいる。ただし毎週のように違うプログラムが控えていますから、楽員は先々の公演の曲目を把握しつつ準備を常にしていますね。
個人練習の方法は、曲にもよります。N響として、すでに何度も演奏している曲もあれば、初めて演奏する曲もありますが、基本的にはその曲をよく知ることが大切ですね。自分のパートだけ弾けるようになれば良いわけでは決してなく、曲全体の中で自分はどういう役割を担っているのか、他のパートがどんな動きをしているのかを把握しておかなければなりません。その上で、難しい箇所があれば、そこを取り出して何度も練習するなどテクニカルな部分を極めていく。そういった準備が整ったところで、初日のリハーサルを迎えるわけです。
ちなみに私は、当日どんなハプニングが起きるか分からないので、インスペクターとして少し早めに現場に入っていつでも対応できるようにしています。メンバーが事前に揃っているか、体調が悪い人はいないか目を配っているんです。あとは、リハーサルが始まったらキリのいいところで休憩を入れるなどタイムキーパー的なことも行っています。メンバーが「これはちょっと疲れているな」という状況の場合は、決められた時間内であってもマエストロに相談する。普段から楽員のコンディションに目が行き届いていないと務まらない仕事です。
それと同時にプレイヤーとしては基礎練習や、マエストロが指揮棒を振り出した時にはベストなコンディションで演奏ができるようウォーミングアップをしっかりする。それは常に心がけていますね。
アーティストとしての自覚は、発言から健康管理にまで。
たとえ演奏をしていない時であっても、N響の楽員として見られていることはかなり意識して生活を送らなければいけないと常に思っています。何かを発言するにしても、それを受け取る人は「N響の楽員が言っていること」というふうに捉えるわけですから。そして、演奏に支障がないよう体調管理は心がけています。自分ではどうしようもないケースもあるんですけどね。私も3年ほど前に首のヘルニアを患ってしまい、半年ほどお休みさせてもらったことがあります。そういうトラブルは誰しもあり得るし、そこは楽員同士でできる限りカバーし合うようにしたいです。
N響らしい演奏は、変化し続けるグルーヴ感にあり。
私はN響以外でも、ジャンル問わず様々な音楽を演奏しています。特にタンゴに関してはライフワークにしている部分でもあるし、ジャズやタンゴ以外のワールド・ミュージックも好きでよく聴いています。「クラシック演奏家はクラシックばかり聴いている」と思われる方もいらっしゃるようですが、意外とそうでもないんです(笑)。それにクラシックをやっていても、ジャズやタンゴをやっていても、「グルーヴ」というものがすごく大事だと個人的に思っていて。ベートーヴェンやモーツァルトのシンフォニーであっても、ブラームスやハイドンであっても、グルーヴをどう捉えるか、どういうグルーヴで演奏するかが非常に大切ですし、「心地よいグルーヴを見つけている」のはどのジャンルの音楽にも共通していることだと思うんです。
今は若い楽員も増えてきました。N響での演奏の合間に、N響以外でも様々な活動をされている方はたくさんいらっしゃいます。個人でリサイタルを定期的に開催されている方もいますし、いろいろなジャンルの演奏家たちとアンサンブルを奏でている方もいます。そうやって新しい音楽をたくさん聴いている人たちは、自然とそういう「グルーヴ」を吸収しているので、それがN響の音楽にも確実に影響を与えていると思うのです。そうやってN響のサウンドも、少しずつ変化してきているのかもしれないですね。
クラシックって面白いですよね。ジャズやポップスの場合、同じ曲でも例えばコード進行を変えたり楽器編成を変えたり、アレンジを加えることによって変化していっているわけですが、クラシック音楽というのは楽譜そのものは数百年も前から全く変わることなく現代まで引き継がれているのに、それを演奏する指揮者やオーケストラによって全然聞こえ方が違ってくる。その違いを楽しむことがクラシックの醍醐味の一つだと私は考えています。
text / Takanori Kuroda