#2 パンデミック時代を生きる「美しい時間」と共に。
2021年夏。ファビオ・ルイージ氏をスイス・チューリヒのご自宅にお訪ねし、くつろいだ雰囲気の中で、楽しいお話を伺う機会に恵まれた。チューリヒ湖に面する古い館が氏の住まい。窓からはキラキラと青く光る湖面の先に対岸の丘陵が見渡せる。
「マスク、お外しになっても僕の方は構いませんよ。ちなみに僕も、そして妻も、ワクチン接種は済ませています」
コンサート会場でも街のトラム内でもマスク着用が義務づけられて久しい時期だったが、こうして対面で人と会って話す機会にマスクをどうするか、というのはいつもデリケートな問題。幸い、その日は取材関係者全員がワクチン接種済みだった。
「では、無しでいきましょう」
そして普通ならここで交わされる握手も、阿吽の呼吸で省略。———「パンデミック時代」を雄弁に象徴するようなインタビューの始まりだった。
オンラインで古典文学とローマ法を勉強
演奏会にリハーサル。世界を駆け回るのが常であった氏の日常は、このコロナ禍の時代にあってどう変わったのだろうか。まずはそのことをお聞きしてみたかった。
「2020年3月からの最初の三ヶ月。スイスを始め、欧州各国が軒並みロックダウンになったあの三ヶ月、僕は元来の仕事という意味では、本当に何もしませんでした。そして今から振り返るに、あの三ヶ月は実に美しい時間でした」
美しい、とは……?
「朝、目を覚ます。さあ、今日は一日、家の中で何をして過ごそうか、と思いを巡らす。そんなふうに始まる一日。まずはそれが新鮮でしたね。何しろそれまでは毎日、どこかへ出かけ、たくさんの人と会う 。そういう暮らしをしていたわけですから」
具体的にこの時期、ルイージさんは「まずはたくさん読書をした」とおっしゃる。読む本は、文学、哲学から政治、社会問題まで多岐にわたり、母語のイタリア語はもちろん、英語、ドイツ語、フランス語で読書されるそう。最近読んだのはカズオ・イシグロの『クララとお日さま』や、ムッソリーニ時代の哲学者、ジョヴァンニ・ジョンティーレについての本など。
「イシグロは面白かったけれど、『わたしを離さないで』などの前作の方が好きだったかな。え、何語で読んだか? うーん、確かフランス語だった気がします」。
ごく自然に多言語な環境にある氏の日常が垣間見えるようだ。
「そしてね、もう一つしたこと。実はこのロックダウンの間、大学のオンラインコースを受講していたんですよ」
ナポリのフェデリコ・セクンド大学のラテン文学講座とローマ法典のクラスに登録し、毎日の授業を熱心に受講したというのだ。
音楽の道に進む決意をする前、少年時代のルイージ氏はイタリアの古典ギムナジウムと呼ばれる高校に通っていた。そこではラテン語と古典ギリシャ語が必須だったそうだが、古典文学への関心はすでにその頃から氏の中にあったのだろう。
「それはもちろんそうなのですが、何しろ高校レベルですからね、古典語を勉強して、文学を少しかじるくらいでした。今回は、かつてのそんな古い知識をブラッシュアップし、さらに、もっと文学の方を深く学びたいと思ったのです」
そうして始めたオンライン講座。
「ラテン語の誕生から、文学の成り立ち、その進化発展。人間にとって不可解で神秘的な事柄、神々のことを綴ることから始まって、叙事詩へ、そして抒情詩へと文学は移り変わっていく。 その移り変わりの中で、ウェルギリウス、ホラティウス、オウィディウスなどの詩も生まれた。古典文学の流れをそんなふうにして俯瞰的に見渡す体験は、それはそれはエキサイティングでした」
「合わせて受講したローマ法典のクラスでは、例えば権利の領域も、最初はコミュニティの権利、国や町が権利の主体者だったところから、次第に個人の権利というものが認識され、法制化されるというふうに変化、発展していった。どれもこれも私には新しいコンセプトで、目が開かれる思いでした」
静かで落ち着いた声のままながら、氏の心が高揚してくるのがわかる、そんな語り口だ。
「まあそんな具合に、妻とこのアパートに閉じこもって静かに過ごしました。息子もドイツから訪ねてきてくれて、長い時間、一緒に過ごすことができました。あと作曲もずいぶんしましたよ。今から思うと、精神的にはとても美しい時間でしたし、いろいろなことを学んで、有意義な時間でもありました」
大切にされなかった文化の領域
個人的には豊かな時間だった、とおっしゃる氏だが、社会や政治については失望する側面、また多くの考えさせられることがあったとも。
「このパンデミック下、平時には機能しているものの多くが機能しなくなった。たとえば政治。普段、私たちは政治にそこそこの信頼を置いているわけですが、そこが揺れ動いた。この危機に際して、政治が、政府がどう反応したか、どう失敗したか。政治というものが、どこに価値を置くかということが可視化された。ある分野に価値が置かれ、別の分野がないがしろにされた。それを目の当たりにするのは時に辛かったです」
とりわけ、ご自身が身を置く文化の領域が大切にされなかったこと。そこはとても悲しかった、と。
「文化人、芸術家として、我々はこれまでなんとなくよいことをしている、何かよいものを差し出している、というふうに思ってきたわけですが、多くの人にとって、重要なものというのは残念ながら物質的なものであることが可視化されてしまった。もちろん、学校とか病院はコンサートよりも重要でしょう。けれど、文化もまた人間にとって何かよいものであるはずなのに、そこが理解されなかった。あるイタリアの政治家が『文化関係者にもサポートが必要、なぜなら彼らはレジャーを提供してくれるから』というようなことを言った。おいおい、我々はレジャーを提供しているわけじゃないよ、と。これはひどいな、と」
「どの分野が優先されるか、価値体系における優先順位というものを見せつけられた思いだった」と氏は続ける。
「オリンピックやサッカーの国際大会はなるほど大切でしょう、でもじゃあ音楽は大切じゃないのか、という話になる。結局ビジネスなんですよね。ビジネスがビッグなところでは何もかも許されて、そうじゃないところでは非常な我慢を強いられる。そういった現実に否応なしに向き合わされた時間だったともいえます」
個人的には人生で初めて体験するような美しく満ち足りた時間だった反面、社会における芸術の価値や居場所ということを考えずにはおられなかった月日。パンデミック時代は、氏にとって、時に痛みや失望を伴う批判的思考や思慮の時間でもあったのだ。
17世紀建立の家での巣篭もり
「幸いにして、その時間を、僕はここ、チューリヒの自宅で過ごすことができました。それはとても恵まれたことでした」
チューリヒ歌劇場管弦楽団の音楽総監督として2012年に就任したのを機に、2014年からスイス在住。多文化・多言語で、たくさんの外国人が共生するスイスでの暮らしがとても気に入っているそう。
「我々外国人が本当の意味でここに同化するのは決して容易ではない。けれど、スイスの人たちは外国人を少なくとも排斥せずに、受け入れてくれる。とても暮らしやすい環境です」
現在のお住まいに越してきたのは3年前。古い建物の上の二階分がルイージ夫妻の住まいであり、仕事場でもある。その館の建造はなんと1680年だとのこと。以前は町の役場だったり、病院だったりと、「たくさんの歴史を刻んできた」この館は、だが歴史的建造物に指定されているので、改装、改築はほぼ許されない。
「ほら、天井に全く照明がないでしょう。でも新しくつけるわけにはいかないんですよ」
そう言われて見上げれば、この部屋にも、次の間にも、廊下にも、見事なフレスコ画。いずれも建造時からそこにあるオリジナルなのだそう。建物といい、絶景といい、こんなレアでスペシャルな物件をそれにしてもよく見つけられましたね、と驚くと、「ごく普通にインターネットで見つけたんですよ」とニッコリ。
「建物の美しさに魅了されて、一目で気に入りました。でもキッチンもバスルームも昔のままで、とても小さいし、決して使い勝手はよくない。天井も低いですしね。だから思いの外、借りたいっていう人はいないそうなんですよ 」
そんな特別な空間に、デンマークの骨董屋で見つけたバー、イタリアの田舎で見つけた仕立屋さん用の古いカウンター、壁を満たすたくさんの絵画、そして無数の本たちがぎっしり詰まった本棚、さらにはフラコンやエッセンスがずらりと並ぶ香水作りのための部屋(これについては次号で)などが調和よく、そしてとても居心地良さそうに収まっている。
そんな空間に身を置いていると、「美しい時間」と氏が呼んだパンデミック下の豊かで満ち足りた月日がここで静かに紡がれ、育まれたのだという実感がわいてくる。その「美しい時間」が、ルイージ氏の指揮棒を経て、さて、どんな形に昇華されて外へと、私たち聴く者の方へと、響き出すのだろうか。今からとても楽しみだ。
<聞き手>
text / Michiko Nagasaka photo / Jonas Moser