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「100回目(?)のN響は、人の心を動かす姿勢を教えてくれた」|山本憲資さん(Sumally Founder & CEO)

生のクラシックコンサートの醍醐味は、何回訪れても、常に新しい感動や発見が得られること。例えば、はじめて訪れた時にはただひたすら音に身を委ね、2度目のコンサートでは奏者の表情に注目し……。回を重ねれば、お馴染みの楽員を目で追うようになることもあるかもしれません。この連載企画「〇回目のN響」では、はじめての方にもそうでない方にもN響のコンサートを鑑賞してもらい、会場でどんな体験ができたのか、その日の演奏からどんなことに思いを巡らせたのか、話を聞いてみます。
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第3回に登場するのは、「サマリーポケット」などを展開する〈Sumally〉創業者の山本憲資(けんすけ)さん。「数えてみると、おそらくこれまでに100回ぐらいはN響を聴いている」というクラシック好きの山本さんが、去る5月に訪れたのは、東京芸術劇場のコンサートホールです。モーツァルト《歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲》《ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466》とベートーヴェン《交響曲 第8番 ヘ長調 作品93》が演奏された池袋Cプログラムを鑑賞し、改めてベートーヴェンの魅力に心躍ったといいます。

永い時間をかけて、一流の音楽家たちが紡いできたもの。

10年ほど前、30代に差し掛かったあたりから、クラシックのコンサートによく足を運ぶようになりました。それまでも時々は行ってはいたのですが「なんだかすごいな」と感じる程度でした。いつからかあらかじめ曲目を予習してから現地に行くようになり、よりクラシック音楽を愉しめるようになったんです。今では、多い時は週に複数回コンサートに足を運ぶことも。N響だけでも毎年10回前後を10年以上は続けているので、100回くらいは観ているのではないでしょうか。

今回取材を実施したのは、終演後のコンサートホール。

とはいえ、専門家やディープな愛好家の方に比べれば、知識量も経験もまだまだ全然です。あまりにも奥が深すぎて、1%すら理解できたとは思えません。ただ、指揮者やオーケストラによって印象がガラッと変わり、ワインに例えると、シャルドネとソーヴィニヨンブランくらいの違いがあるくらいは素人ながらにではありますが、少しずつ分かるようになってきた気もします。

仕事の面でも、クラシック音楽から学ぶことはたくさんあります。僕はスタートアップ企業を率いる立場として、世の中に今までにないサービスを展開していますが、その仕組みを考えていくうえで、常に新しいテクノロジーやトレンドに向き合うことはもちろんながら、長らく世の中に存在し続ける“普遍的なもの”からも強い影響を受けています。特に200、300年前に天才作曲家たちが作曲したクラシックの名曲は、それ以降に生まれた世界中の音楽的才能に恵まれた人たちの人生を丸ごと奪ってしまうほど力を持ち、ある種、彼らが一生をかけて圧をかけ続けても、摩耗して色褪せるどころか、輝きを増し続けるという極めて稀有な“コンテンツ”です。

そして指揮者から演者まで、その音楽家たちが紡ぐ圧倒的な解像度の演奏が、深く心を動かしてくれます。音楽家たちが作曲家の心と向き合い、自分の心と向き合い、そこから産みだされた世界をこれでもかというほどの高い精度で音楽として奏でるプロセスが、時代を跨いで積み重ねられてきたのがクラシック音楽の歴史です。

その世界を垣間見せてもらえることで、普遍的な価値を持つとはどういうことなのか、そしてそういうものと向き合う精度はどういうレベルなのかということを考えさせられ、サービスを生み出していく経営者として視座を高く保つための重要な機会になっていると思います。

気軽に世界レベルの演奏を聴ける贅沢さ。

今回のCプログラムでは、ファビオ・ルイージさんの指揮によるモーツァルトとベートーヴェンを鑑賞しましたが、ベートーヴェンは自分にとって特別な作曲家です。「サントリー1万人の第九」に参加して第九を暗譜で合唱したこともありますし、7年前には、サイモン・ラトルがベルリン・フィルで指揮を執った「ベートーヴェン・チクルス(ベートーヴェン交響曲全曲演奏会)」を現地で鑑賞するために、わざわざベルリンに渡ったこともありました。ベートーヴェンの交響曲は、人生を象徴しているように感じるようなところもあって、30代のうちに第1番から9番までしっかり聴き込んだ上で、世界最高峰の演奏を全身で浴びられたことは大変に貴重な経験だったと思います。ベートーヴェンの交響曲は、どれも聴くたびに毎回ワクワクするんですよ。今回の《第8番》もすごく良かった。

今回タクトを振ったファビオ・ルイージさんが9月からN響の首席指揮者に就任されるとのこと、実に楽しみにしています。セイジ・オザワ 松本フェスティバルでもルイージさん指揮の演奏は何度か聞いたことがありましたが、3年ほど前にサントリーホールで聴いた、ルイージさんによるN響の《英雄の生涯》は、コンマスを元ウィーン・フィルのライナー・キュッヒル(当時ゲスト・コンサートマスター)さんが務め、ヴィオラ首席は個人的にも親しくしていただいている川本嘉子(当時ヴィオラ首席客演奏者)さんという最強の飛車角の編成だったのですが、ホールの響きからヴァイオリンソロの美しさまで、個人的にはN響ベストと言えるほど強く記憶に残っていますね。

2015年から首席指揮者を務めたパーヴォ・ヤルヴィさんもそうですし、毎年のように客演するブロムシュテット、エッシェンバッハなど、N響はウィーン・フィルをレギュラーで振っているような世界レベルの指揮者、演奏家を頻繁に招聘しています。楽員のみなさんの経歴を拝見するとふむふむやっぱりそうだよなとなりますが、日本最高レベルの演者の方々で編成されていて、最近では、チェロの辻󠄀本玲さん、ゲスト・コンサートマスターの白井圭さんなど、同世代の音楽家の方々も活躍されています。沖澤のどかさんや原田慶太楼さんといった若い世代の日本人の指揮者がタクトを振る機会が出てきていることも愉しみのひとつです。

まぁそれにしてもこれだけ高いレベルの常設オーケストラが私たちの身近にあるのは、いやはや贅沢なことです。安い席だと数千円、高い席でも1万円もしない価格でこのレベルの演奏に触れられることがどれほど恵まれた環境なのかということを、同世代を含めたより多くの人に知ってもらえたら嬉しいですね。

一流に触れることで、仕事への姿勢も変わってくる。

クラシックのコンサートでいつも思うのは、会場を訪れたクラシック愛好家の中では、自分はかなり若い世代であるということ。僕は去年40歳になったばかりなのですが、同世代や自分より若い世代には、最初のハードルがまだまだ高すぎるのではないかと感じます。でも、この興奮を知らないなんてもったいない。

僕は文楽も好きなんですが、竹本織太夫さんの公演に20〜30人の友人を誘い、鑑賞後に織太夫さんと一緒に食事をするという会をちょくちょくやってます。文楽、ちょっと興味があるなと思っていても、きっかけがないとなかなか足を運ぶまでには至りませんよね。わいわいとみて、みんなで感想を話し合って、演者の方とも交流できたりすると、やっぱり興味も湧くし好きになっていきます。

クラシックでも、公演前に演目を予習してきて、鑑賞後に感想を語り合いながら飲む会みたいなものもやってみられたらなと。ちゃんと聴いてみたら好きだろうけど、この感覚を味わったことがないという人もまだまだたくさんいると思うので。

指揮者はシェフと呼ばれたりもしますが、クラシックのコンサートは、所謂『名店』での食事にも似ているところがあるかもしれません。名曲という素材を、どのような火入れで、どのような味付けで提供するのか。僕は食べることも好きなので余計にそう思うのかもしれないですが、シェフの狙った精度を高い解像度で表現していくプロセスは、指揮者とオーケストラが演奏を仕上げていく様に近しいところもあるのではと感じます。最高のオーケストラの演奏は、火入れと塩のキマった一皿に突き動かされる感動と通じるところがあり、そういうものに日々触れることで、仕事へのモチベーションが変わってきますね。

text / Miho Matsuda photo / Hiromi Kurokawa 取材協力 / 東京芸術劇場



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