#1 パーヴォ・ヤルヴィ(N響名誉指揮者)|「これからの音楽家に必要なのは、変化とアイディアである」
<質問したミュージシャン>
<答えた指揮者>
Question1
Answer1
音楽家を目指すきっかけは人それぞれですが、私の場合、家族の影響が強いように思います。音楽一家に生まれ、母のお腹の中にいる時から音楽を聴いていたので、クラシック音楽は、赤ちゃんが言葉を習得するように、ごく自然に自分のものとなりました。特に、音楽に強い情熱を注ぐ指揮者の父ネーメ・ヤルヴィ(*1)は、私が小さな頃からオーケストラのリハーサルに連れて行ってくれて、音楽を聴きながら今どんなことが起きているのか、間の取り方、聴きどころなどを丁寧に話してくれたので、「音楽は楽しいものである」という意識が自然と芽生え、次第に父のような指揮者になりたいと思うようになったのです。
指揮者になるためには必ずなんらかの楽器をマスターしなければならず、ピアノやヴァイオリンも勉強しましたが、父からオーケストラに入って経験を積んだほうがいいと言われ、打楽器をマスターすることにしました。打楽器奏者を選んだことで、さまざまなオーケストラから助っ人を頼まれる機会が多くなり、とにかくたくさんの経験を積むことができました。その期間があったからこそ、オーケストラの目から見た指揮者がどんな存在であるのかを知り、どんな言葉をかけ、指示をすれば明確に伝わるのか、心を掴むことができるのか、コミュニケーションを育むことができるのかを学ぶことができたと思います。そして、カーティス音楽院(*2)で学び、23歳で無名の頃、ノルウェーの都市、トロンハイムのオーケストラから指揮の代役を頼まれたことがきっかけで、音楽家、マネージャーの耳、目に触れ、次々と仕事の依頼が来るようになりました。さらに、恩師であるレナード・バーンスタイン(*3)との出会いは、私の指揮者人生に大きく影響を与えましたね。そして首席指揮者として最初にお呼びがかかったのがスウェーデンのマルメ交響楽団で、そこからアメリカのシンシナティ交響楽団、パリ管弦楽団、NHK交響楽団、そしてトーンハレ管弦楽団へとつながったのです。偶然の出来事は何一つなく、全てのことはつながっています。音楽の道も人生と同じで、少しずつ前に進んでいくものだと思いますね。
Question2
Answer2
皆それぞれの過ごし方があるかと思いますが、私の場合ははっきりルーティンが決まっています。コンサート当日は通常午前中にゲネプロ(*4)があるのですが、そのあと必ずしっかり昼食をとり、夜の公演に備えて仮眠をとります。少なくとも2時間、できれば3、4時間は寝るようにしていますね。そのあとコンサート会場に向かい、コーヒー以外は何も口にしません。このルーティンを実践しているからこそ、高い集中力を持ちながらも、リラックスした状態でステージに立つことができているのだと思います。
Question3
Answer3
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(*5)の来日公演の際に地震がありました。しかし、私もmabanuaさんと同じく音楽に没頭していたので、自分が動き過ぎてバランスを崩したのかと思い、最後までタクトを振り続けました。あとから地震だったことを知り、驚きましたね。あと、ソウルでマーラーの交響曲を演奏している途中、ホールの照明が落ちてしまったことがありました。ですがその時も、暗闇の中、照明が戻るまで演奏を続けたことが思い出に残っています。幸い、それを超えるような出来事は起きていませんし、これからもないことを願います。
Question4
Answer4
指揮者の仕事とCEOの仕事は確かに似ています。前々からなんとなくそんな気がしていたのですが、首席指揮者としてスポンサーシップを得るために大企業の社長や執行役員の方たちと会う機会が多くなってからはさらにその類似性を感じますね。企業トップの方たちは、指揮者のことを音楽芸術のことだけを考える特殊な種族=ボヘミアン的な存在と思っている方が多いのですが、談話しているうちにそのような方たちにも自分たちと同じことが指揮者にも求められていることに気づき、驚かれる方も少なくありません。最優先事項はもちろん芸術ですが、指揮者の仕事は大変複雑で、オーケストラの心理、マネジメント、チームビルディング、財政など、ありとあらゆることに関与しなければなりません。それができるかどうかはもちろん適性にもよりますが、何よりも経験がものをいう世界だと常々思いますね。
Question5
Answer5
今、世界中のオーケストラが目指しているのは、全ての人にクラシック音楽を届けることです。しかし、音楽を提供する側や、オーケストラ等の組織自体がやや柔軟性に欠けていると感じます。オーケストラは数世紀もの間ほとんど変わっていません。コンサートステージ、リハーサルの方法、レパートリー、プログラム構成、衣装、演出面......さまざまな伝統が現在まで踏襲されてきました。組織としての考え方が固いので、より柔軟な対応の必要性を説いてもなかなか通じないのが実際のところ。ですので、クラシック音楽のファンを増やすためには、まずは自分たちのやり方、考え方を見つめ直す必要があるかと思います。例えば、コンサートの見せ方そのものを変えたり、コンサートの長さを変えたり、聴衆とのコミュニケーションの方法を考えたりと、変化の必要性を唱えるだけでなく、様々なアイディアを持つことも必要です。例えば、SNSを介しての発信やレコーディングなど。コンサートは生で聴くのがベストですが、それが叶わない場合にはライブストリーミングもとても有効だと思います。しかし、著作権、契約、組合などの縛りなどが山ほどあって実現できないことが多く、これからの課題のひとつです。21世紀の今、世界を動かしている若い世代の多くは、そもそもクラシック音楽に触れる機会が少なくなってきています。音楽家は誰もがクラシック音楽の伝道師であるという意識を持ち、あらゆるチャンスを使ってクラシック音楽の魅力に気づいてもらうようにすることが、我々に課せられたミッションだと思います。
注釈
*1ネーメ・ヤルヴィ・・・エストニア出身の指揮者(1937-)。50年以上のキャリアの中で400点を超える録音を行い、レパートリーは幅広く、多種多様な音楽を手がけている。
*2カーティス音楽院・・・1924年に設立されたアメリカの音楽大学。世界有数の音楽大学のひとつ。学生数が限られており、ハーバード大学と並ぶほど難関校とも言われている。
*3レナード・バーンスタイン・・・アメリカ出身の指揮者、作曲家、ピアニスト(1918-1990)。20世紀のクラシック音楽界を席巻した音楽家のひとり。パーヴォ・ヤルヴィが青年時代に師事した。
*4ゲネプロ・・・クラシック音楽や演劇などにおいて、演奏会の本番間近に行う本番同様の通しリハーサル。ドイツ語のGeneralprobe(ゲネラールプローベ)の略称。
*5ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団・・・1980年に設立されたドイツ・ブレーメンに本拠を置く室内オーケストラ。2004年からパーヴォ・ヤルヴィが芸術監督を務めている。
*6ヘルベルト・フォン・カラヤン・・・オーストリア出身の指揮者(1908-1989)。20世紀のクラシック音楽界において、最も著名な人物のひとり。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を34年間務めた。
<質問者プロフィール>