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#3 C=Conductor 作曲家の「生き様」と自分の「原体験」を演奏で表現する。

そもそもN響の歴史とは? コンサートにはどうやって参加するの? といった基本的なことから、知られざるN響の秘密まで、「O・R・C・H・E・S・T・R・A」を頭文字にもつキーワード毎に紹介していきます。
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第3回は、Cの「Conductor=指揮者」についてです。「教えて、指揮者のみなさん」では、N響タイトル指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ、ヘルベルト・ブロムシュテット、ファビオ・ルイージの3名にそれぞれの視点で指揮者の仕事を解説してもらいました。では、同じ舞台に立つ奏者は指揮者をどう捉えているのでしょうか? 1997年から20年以上もの間NHK交響楽団でコンサートマスターを務める篠崎史紀に解説してもらいました。

<教えてくれた人> 

指揮者それぞれの「原体験」が、演奏に色をつける。

指揮者とは、大まかにいえば「その日の演奏を受け持つ人」です。指揮台に立ち、指揮棒を振りながらオーケストラに対して始まりの合図と終わりの合図を出す。これがもっとも基本的な役割となります。

クラシック音楽は「再現芸術」と言われるように、「絶対神」である作曲者が遺した楽譜を可能な限り忠実に再現することがもっとも重要なことです。と同時に、楽譜には書かれていないこと、楽譜には書ききれなかったことを「妄想」しながら再現するセンスも必要とされるんですね。

指揮者によって演奏に差が出てくるのは、この楽譜に書かれていない部分をどう解釈するか? がそれぞれ違うからなんです。例えばテンポの取り方や、音を鳴らしたり切ったりするタイミング、強弱の具合など、指揮者の「解釈」による違いが、曲全体の印象をまるっきり変えてしまう。例えばクレッシェンドをする場所が、ほんの少しずれただけでも聞こえ方はまるで違いますよね? 要するに10分の1、100分の1秒の音の長さの違いが、曲全体にも大きく影響するといっても過言ではないのです。

では、そうした解釈の違いはどのようにして生まれるのか。指揮者にもっとも影響を与えるのは、その人自身が生まれた国の風土であり、そこでの「原体験」なのではないでしょうか。自分が使ってきた母国語は何か、どんな場所で育ち、どんな人と付き合ってきたのか。この辺りが楽譜の解釈にも大きな影響を与えます。加えて社会情勢や生活風習も関わってくるでしょうね。でもそれってクラシックの世界だけでなく、アスリートや画家もそうでしょう。そして、過去から連なる「文脈」を正しく理解していないと、その「ちょっとした変化」がなぜ起きているのかも分からないですし、そもそも変化が起きたことすら気づかないかもしれない。逆にいえば、その「違い」が理解できるようになってくると、クラシック音楽を聴く楽しさは倍増するわけなんです。

篠崎史紀氏が偏愛する指揮者とは。

繰り返しになりますが、優れた指揮者とは作曲家の意図を熟知しながらも、解釈の余地がある部分に対してユニークなアイデアをたくさん持っている人のことだと僕は思います。であれば、指揮者の優劣などほとんど聴く人の好みの問題ともいえますよね。

それはともかく、レジェンドと呼ばれる歴代の指揮者を挙げていくとやはりヘルベルト・フォン・カラヤン(*1)やカール・ベーム(*2)、ウォルフガング・サヴァリッシュ(*3)、ホルスト・シュタイン(*4)、ロリン・マゼール(*5)といった方々でしょうか。この方たちはすでに逝去されたので、残念ながら私たちはもう2度と「体験」することは出来ません。今の時代の若手の指揮者ですと、これは完全な僕の好みですがトゥガン・ソヒエフ(*6)の指揮は是非とも一度聴いていただきたいです。

指揮者トゥガン・ソヒエフ。2022年1月のN響定期公演に出演予定だったが、感染症の影響で来日が叶わなかった。©️ Marco Borggreve

僕らが「すごい」と思う指揮者は、知識があってクレヴァーであること、あるいは親分肌でグイグイ引っ張ってくれる人、もしくは「何がすごいのかよくわからないけどすごい」と思わせるオーラがある人です(笑)。トゥガンの場合、知識もあるし物腰は柔らかいのに、有無を言わせぬハンドパワーといいますか、フォースみたいなものを持っているのではないかと思っているんです。そして、「この人と音楽をやっているこの時間は、なんて幸せなのだろう」と思わせる魅力があるんですよね。

「指揮者」を見て、聞くためのコツ。

今年の9月からN響の首席指揮者に就任する、ファビオ・ルイージももちろん素晴らしいです。彼はクレヴァーですが下積みも長く、その下積みをやったことが自分でちゃんと消化できている。だからこそ思いつきで何かをやるようなことはしない。経験と知識に裏打ちされた説得力を持っているんです。彼との演奏も幸せな時間に感じますね。

コンサート会場で、指揮者を観察するのにもっとも適しているのは、指揮者を正面から見える席です。そこで指揮者の顔や仕草を見ていると、きっと飽きないと思いますね(笑)。東京芸術劇場なら舞台を横から見られますし、サントリーホールなら舞台の裏側にも席があるため、指揮者を正面から見る事もできます。料金的にお得な席ですが、ステージの延長上で自分も見られているという緊張感があります(笑)。響きのバランスや広がりを追求するのであれば、それなりの料金の席に座った方がいいと思います。でもたまにそうやってちょっと違った角度からクラシックコンサートを聴くのも、楽しみがまた広がるかもしれないですね。

オルガンを背にした座席(サントリーホールPブロック)では指揮者を正面から観察できる。 オーケストラの音は後ろから聴くことになってしまうが、指揮者の表情はばっちり見える。©SUNTORY HALL

指揮者の違いをそうした見た目ではなく「音」で楽しみたければ、オーケストラの各楽器の音量バランスに耳を傾けてみてほしい。どの楽器をどのくらい鳴らすか、和声の中のどの音をどのくらいの割合で出すか、それらをコントロールしているのが指揮者なんです。指揮棒を振ってテンポを調整しているだけと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、オーケストラの音のバランスや演奏の流れを作ることが、指揮者としてもっとも重要な仕事なのです。そこから自分の好みの指揮者を見つけるようになってくると、クラシックの深い森にさらに一歩踏み込むことになると思いますよ。

注釈
*1 ヘルベルト・フォン・カラヤン・・・オーストリア出身の指揮者(1908-1989)。20世紀のクラシック音楽界において、最も著名な人物のひとり。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を34年間務めた。

*2 カール・ベーム・・・オーストリア出身の指揮者(1894-1981)。ウィーン国立歌劇場などヨーロッパの主要歌劇場の音楽監督・総監督を歴任し、1956年以降はフリーで活躍。67年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者の称号を授けられた。R.シュトラウスらとも親交が深い。

*3 ウォルフガング・サヴァリッシュ・・・ドイツ出身の指揮者(1923-2013)。ピアニストとしても活躍。1953年にはアーヘン市立歌劇場の音楽総監督、57年にはバイロイト音楽祭に登場。以降オーケストラの指揮者を歴任して71年からバイエルン国立歌劇場の音楽監督(のち総監督)に就任、93年から2003年まで米フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務めた。N響との関係は大変深く、64年以降幾度となく客演し、67年に名誉指揮者、94年に桂冠名誉指揮者となった。

*4 ホルスト・シュタイン・・・ドイツ出身の指揮者(1928-2008)。ハンブルク州立歌劇場音楽総監督を経て、スイス・ロマンド管弦楽団やバンベルク交響楽団首席指揮者を歴任。ドイツ音楽の伝統を受け継ぐ指揮者として、確固とした地位を築いた。N響とは1973年に定期公演を指揮して以降、幾度となく客演し、75年に名誉指揮者となった。

*5 ロリン・マゼール・・・アメリカ出身の指揮者(1930-2014)。幼少期より音楽的才能を発揮し、1948年にピッツバーグ交響楽団にヴァイオリニストとして入団。53年に指揮者デビュー。60年には史上最年少でバイロイト音楽祭に登場。65年からベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団の音楽監督に就任。以後クリーヴランド管弦楽団、ウィーン国立歌劇場、フランス国立管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ニューヨーク・フィル、ミュンヘン・フィルなど有名オケの音楽監督を歴任。N響とは2012年に共演している。

*6 トゥガン・ソヒエフ・・・ソビエト出身の指揮者(1977-)。トゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者およびボリショイ劇場の音楽監督を務めた。世界の一流オーケストラと共演を続けており、若手指揮者屈指の存在となる。N響とは08年に客演して以降、数々の名演を残している。

text / Takanori Kuroda

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